我々のこの二元の世界というのは、言葉による意味の伝達によって成り立っているということを言ってきました。
誰だって意味がないことには興味がないわけです。だからどんなことにも意味を見出そうとしているのです。
ところが、意味というのはリアルではない、つまりは全くもっての作り物、イメージでしかないということ。
だから、非二元ではどんな意味もないのです。そうなると、日々の生活の中で非二元の方に近づこうとすれば、自然と言葉が出にくくなるのです。
つまりは口数が徐々に少なくなってしまうということです。誰と一緒にいても、言葉の洪水のようなところにはいたくなるなるのです。
そしてたとえ一人で過ごしているとしても、頭の中で発生するあらゆる言葉から距離を置こうとするようになるのです。
覚者の元に集まる「サットサン」というものが昔からあるのですが、その一つの形としてただただ静かに坐るというのがあるのです。
それは真実から離れてしまう言葉を除外して、真実の臨在の中で思考を超えて気づきを起こるように促す場として機能するわけです。
この世界では言葉はとても大切であって、なくてはならないものですが、非二元では言葉は単なる幻想を運ぶものだと。
そういった気づきが自然とやってくるようになるのですね。