生は何処にも向かってはいない

若い頃というのは、自分の人生はどうなっていくんだろう?という不安のようなものをいつも抱えていたように覚えています。

日々教育されてきたことと言えば、いつも必ず前進するという文化があるように感じていたように思います。

生物の歴史を見れば、絶えず進化の道を進んできた結果、現在の人類まで到達したわけです。後退した歴史というのは記憶がありません。

人類の歴史を見ても、それが文化的なことであれ科学的なことであれ、産業革命にしてもAI革命にしても常に進化の道を辿ってきたのだと。

つまり、いつも昨日よりも今日、今日よりも明日という具合に、必ずどこかヘ向かって進んできたという印象です。

だからこそ、自分自身の人生にしてもただ漫然と毎日を暮らすというよりは、どこかへ向かってより良い人生を目指して生きること。

こうしたことは、ごく自然と作り出された生き方のように思うのです。ところが、それが唯一の生とは異なるものだったのです。

リアルな生は、どこにも向かっていないし、それこそ自動運転によってただ瞬間瞬間の変化を起こしているだけ。

そこには、どんな意味も価値も目的も何もありません。自分の人生があると信じたお陰で、そこに意味や価値を見出そうとして、目的に向かって進むということ以外考えらなくなってしまったのですね。

このずれを解消しない限り、本当の意味での安らぎや平安、そして自由を感じることができないのでしょうね。