どんな状態であれ、それは単なる状態

瞑想を毎日のライフワークにしていたのに、ある日から突然のようにパタっと辞めてしまったのですが、それから約1年が経過しましたね。

最近また少しずつ、心静かに目を閉じている時間が増えて来たように思います。とは言っても、瞑想ではないのです。

思考がやってきてもそのままにしているし、ただ今気になっている色々なことをその都度確認したりしているのです。

それでも身体は瞑想と勘違いするらしく、やっぱりあの気持ちよさはやって来てくれるわけです。けれども、その時の気持ちが全然違う。

過去はこれがチャンスとばかりに、もっともっとこの状態が続けばいいのにと思っていたのですが、今はそこはどうでも良くなりました。

一時的に起きるどんな良い状態であれ、それは単なる状態であってずっと続くこともないし、単なる身体の気持ちよさなんですね。

身体の状態に一喜一憂することがなくなった分だけ、とても楽になれました。自分の中での覚醒の定義も完全に変わってしまったようです。

今はとにかく幻想を見抜くというところにフォーカスが移っているようで、しぶとい信念などを溶かしていく工夫をしています。