赤ちゃんや乳幼児というのは、そのほとんどが例外なく無邪気なものですよね。どんな野心もなく、その時々を屈託なく過ごしているのです。
そんな無防備な存在なのに、それがいつの頃からかは分かりませんが、気がつくと周りを気にするようになるのです。
それは、ただ見る存在でしかなかったはずが、自我の目覚めとともに見られる存在へとこれ以上ない大きな転換を迎えるからですね。
自我が育ってないうちは、ただただ見ることがその瞬間の全てだったので、関心のほとんどが現れに向いていたのです。
その現れと自分は分離していませんでした。なぜなら、分離しようにも、まだ自分というものが存在してなかったからです。
それが自我の出現とともに、外の世界とこの小さな私という存在が二つに分離したように感じるようになってしまったのです。
だから、自分が周囲を見るのと同じようにして、自分も周囲から見られる可能性が生み出されてしまったのです。
ここからが、ご存じの見られる人生という地獄が始まったわけです。けれども、見られる分離した自分という存在が幻想でしかなかったという情報に触れ、人はそこから探求が始まるのです。
ここを見抜かない限り、何がどうなったとしても心からの平安や自由を手にすることはできないということに気づくからですね。
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