非二元がこの現実の本当の姿だということを検証することは、それほど難しいことではありません。
それは実際には、リアルに体験していることと単なる思い込みの違いにしっかり気づくことができればいいだけです。
ただし、それができたとしてもすぐには長年の思い込みが安易となくなってくれるわけではないということ。
そして、自分が体験しているという言い方ができなくなるのです。単に体験が起きているということに気づくからです。
例えば、「部屋の中で1人ソファに座って、部屋の景色を見ている」という状況であると想定して見てください。
ここで、直接の体験にだけ注目して、思考や記憶やイメージ、概念、観念、思い込みをすべて傍に置くようにするのです。
すると、部屋の中というのが概念だと気づくし、体験の中にこの体験を体験している主体としての自分を見つけることができないと気づきます。
それと同時に、部屋の中にあると思われる机や椅子、壁や床といったラベルづけられたものの実体を体験していないとも気づくのです。
つまり、体験主体としての自分も見えていると想定している部屋の中の実体も、どちらも体験自体には含まれていないのです。
体験しかない、体験だけが起きている。これが非二元ですね。