個人という幻想から抜け出る

長い間ずっと思い続けてきた、人生を賭けた懸案事項である、「個人という幻想から抜ける」という命題。

一年前までは、どうしたらいいのか分からずに、ただ瞑想をして思考を止めることだけを考えていました。

そしてとうとう非二元的な気づきによって、ようやく個人という幻想から抜け出す方法が分かってきました。

順番としては、この世界には独立した物質というものは存在しないということの気づき。これがとても大きかったのです。

そして、それは自分の身体についても同じことが言えるのだから、物質としての身体というものは存在しない。

ここで、個人として生きる上で非常に頼りにしている自分の身体の存在が消えてしまったので、個人でいることが怪しくなったのは当然です。

そして非二元によって、経験主体としての自分という存在を経験できないということに気づいたのですね。

経験は起きるのですが、その経験には時間や場所がないのです。そうなると、私の経験という言い方ができなくなるのです。

つまり、個別の経験というものは存在しないのです。ここまでくると、もう個人としての自分の存続はほぼ不可能になってきます。

残っているのは、ただの信念だけかもしれません。それが負け犬の遠吠えのように感じるようになりつつありますね。