二元から非二元へ

私たちは、自分にとって好ましいと感じるもの、お気に入りのものをできるだけ手に入れたいと望むものですね。

その一方では、自分にとっては嫌いだなと思っているもの、都合が悪いものをできるだけ遠くに押しやりたいと願うのです。

この当たり前の習性が、実は苦しみの根本原因であるということに気づいている人は少ないのかもしれません。

じゃあ気づいた人は苦しみから解放されるのかというと、そうでもなくて、気付いたからといってその習性を無くすことが難しいのです。

だから、いつまで経っても苦しみがなくなることはありません。ただし、その苦しみを小さくしていくことは可能なのです。

つまり、この二元の世界で都合のいいものと都合の悪いもののバランスを取るということ。都合のいい方にばかり肩入れすることを慎むのです。

そうすることによって両者のバランスが取れてくるし、両者の間の違いも小さく感じられるようになるのです。

ちょうど、やじろうべいの腕が短くなるにつれて、大きく揺れることがなくなってくることと同じなのです。この生き方が中道に近いわけです。

そして、完全に中道になったとき、その時こそ二元性が消えて、つまり双方ともに消えていってしまうことになるのです。

そうやって、非二元へと入っていくことになり、結果として苦しみからも解放されるということになるのですね。

欲望は薄く、淡々と

この年齢になるまでの、これまでの自分の人生を顧みてみると、なんとなくですが概ね自分の思い通りになっているなと思うのです。

もちろん100%願いが叶うということではないのですが、総じて90%以上は想定したようになっているなと。

その理由の一つとして考えられることは、自分はあまり高望みをしないという傾向があるからなのかなと。

別の言い方をすれば、欲望がそれほど強くないのかもしれないと思うのです。結構すぐに諦めてしまうし。

歯を食いしばって、石に齧り付いてでも願いを実現するんだという強い思いがないのです。これはもう、気質なんでしょうね。

高望みをすればするほど、人は不満も大きくなるものです。だからそこは有利なのかもしれません。

けれども、一方では秀でた人物には決してなれないし、他人からの評価はあまり良くはないのかもしれません。

どちらがいいかは人によって意見が異なるところかもしれませんが、私は自分自身を否定することなく、常に中立でいたいなと思うのです。

あとはもう、特に欲しいものもないし、どこにも行きたくないし、やりたいこともなく、ただ非二元に完全に目覚めること。ここは諦めずに続けていきたいなと。

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そろそろ新型車がリリースされる

今乗っているクルマの3回目の車検がつい先日終わったのですが、ということは購入してからもう7年経ったということですね。

どこも悪いところはないし、気に入っているのですが、ちょうど同じ車種の新型が年末に出るという情報が入って来ました。

そろそろ買い替えても良いかなと思いつつ、そのことをクルマの中で考えると今のクルマが機嫌を損なう可能性があるので、心の中でこっそりと。

この7年の間のテクノロジーの進化はすごくて、特に電気自動車なのでバッテリー自身やその温度コントロールシステムなど。

これまで不便だと思っていたところが、かなり改善されるらしいのです。ところが、残念な点もあるのです。

特に気に入っていた、e-ペダルという、ブレーキを踏む必要がない便利な機能とか、低速時の擬音をカットする機能が消えてしまったようなのです。

新しいクルマだから全てが進化して便利になったというわけではないのですね。なかなか悩ましいところだなと。

家人にそのことを話したら、そんな細かなことを気にする人なんて、いないんじゃないの?と言われ、確かにこだわりを手放すのにはいい機会かなと‥ 思えなくもないのです。

癒しと非二元の探究は繋がっている

ちょうど1年くらい前から、非二元の動画を挙げるようになって、それまでの癒し中心の動画とは様変わりしたのですね。

セラピストの自分が、癒しとは異なる非二元の内容を伝えるというのは、どうかなとも思ったのですが、その時々で自分が表現したい内容を正直に話して来たのです。

自分がどれほど非二元に傾倒したとしても、これまで通りのクライアントさんとのセッションは問題なくできると分かっていたからです。

とはいうものの、自我の癒しを行うセッションと非二元の探究とは、全く異なるものだと思っていました。

ところが、最近になってかなり共通するモノがあるのではないかと分かって来たのです。それは、どちらも信念を脇に置くということ。

癒しの大切なことの一つは、これまでの生き方を変えることなのですが、それはこれまでに培って来てしまった思い込みや信念を手放すということ。

それと、非二元の探究で必要となるあらゆる信念を脇に置くのとは、全く同じことだと気づいたのですね。

ただし、癒しをおざなりにして一足飛びに非二元の方に意識を向けるのは、あまりお勧めはできない感じがします。

それは、都合の悪いところを見ようとせずに、そこをパスして現実逃避のように非二元へと逃げるようなニュアンスを感じてしまうからです。

いずれにしても、心の癒しと非二元の探究は、相反するモノではなく、繋がっているということですね。

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この世界には自分しかいない?

かなり昔のことになるのですが、大きな声では言えないのですが、この世界には自分しかいないんじゃないの?という感覚を持っていました。

そう言ってしまったら、すごく傲慢な人に思われてしまうことに気づいていたので、独りで心の奥で思っていたのです。

自分でも、それって随分と自分勝手な発想だし、自分が特別な存在だという自我の欲望からきているのかなとも感じていたのです。

この感覚というのは、今思えば自分というこの存在の外側に現実の世界が広がっているということへの違和感だったのだなと。

絶対的にそんなことを知ることはできないはずだと、なんとなく気づいていたということですね。この感覚は、間違ってはいなかったのです。

けれども、ある時期からやはり自分だけが存在するなどという身勝手な発想は幼稚だと思って、ある種封印していたのです。

それが、非二元の探求の中で復活してきたのです。これは、一部使えるなあと。あとはゆっくりと、その中心にいると思っている個人的な自分も思い込みの産物だったと気づけば良いのだと。

非二元の探究は人によって、そのプロセスは様々だと思うので、私の場合は周りを疑うことから進んでいったんだなと分かるのです。

あなたも自分独自のプロセスを歩んで行かれると良いですね。

「非個人的」が鍵

私たちの苦しみの根源は何かと言えば、自分は個人として生きているという考えがあり、それを頑なに信じていることなのです。

たとえば、身体の不快感がやってきたときに、それが痛みであったり痒みであったり、内臓の不具合感であったり様々です。

けれども、それが自分という個人の身の上に起きていることだと思うからこそ、そこに苦しみが付加されてしまうのです。

痛みなどの感覚が非個人的なものであることを見抜いたならば、そこにあるのはその感覚だけであって、苦しみを作り出すことにはならないということです。

個人としての当事者意識というものが、快不快を感じる時のベースとしてあることは、誰も疑うことはないはずです。

精神的な悩みや困難についても同じ事が言えるのです。自分という個人が精神的な攻撃を受けているように感じてしまうのです。

そうすると、自分だけが何故?という気持ちになって、他人との比較をすることにも繋がるわけです。

個人というのが幻想でしかない、つまり「非個人」という真実に気づくことができれば、それだけで全ての苦しみから解放されてしまうはずなんですね。

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少し光が見えてきた

一昨年の7月頃にハワイにある不動産を売却して、そのお金で家を建て直して住み始めたのが去年の8月でした。

アメリカというのは自分勝手な国で、売却した時の税金を多めに天引きしてしまうんですね。そして、後で取り過ぎた分を還付金として返すという仕組み。

その還付金を返すに当たって、本人確認が必要という非常に理不尽な理由によって、送金が遅れていたのです。

昨年の5月頃に、本人確認のために電話をかけて承認をもらえたにも関わらず、ずっと長きに渡って返金されなかったのです。

アメリカってそういう国なのかなと、もう半ば諦めていたところ、昨日ようやく念願の還付金が送金されたのです。

その間、一体どうなっているのかを何度も何度も繰り返し、問い合わせをしなければならなかったのです。

いやあ長かったなあと。アメリカ連邦税務局に電話をしてから、かれこれ1年半が経とうとしていたのです。

日本では絶対にあり得ないことなのですが、アメリカでは普通に起きてしまうのです。今回無事送金されたのも、もしかするとトランプ大統領とイーロン・マスクのおかげかも。

ところで、トランプ大統領から高市さんへの祝辞とともに「日本の皆さま、おめでとう!」というメッセージが届きましたね。これは異例のことだと思います。

暗いトンネルの中にいた日本の経済に、少し光が見えてきたと言うことかもしれないですね。あまり期待せずに情勢を見守っていきたいと思います。

非二元だけがリアル

非二元のことを全く知らずに生活している人にとっては、「世界はそこに存在している」と信じているわけです。

信じているということすら気づかずにいて、そこを疑ったことがきっと一度もないというのが正直なところでしょうね。

だから、それは妄想なんだと言ったとしても、100人中99人は耳を貸さないで終わってしまうはずです。

けれども、そこを疑ってかかることができれば、そこからいずれはあらゆる苦しみから解放されることになる、と言ったら数人は立ち止まって聞いてくれるようになるかもしれません。

それでも、結局はそんなバカな話は、きっとどこかのインチキくさい宗教みたいなもので、自分は騙されないぞ!となるのだろうなと。

ただここで、非二元の探究を続けている身として、正直な感想を言うと、非二元というのはあらゆる人間の嘘を見破るのです。

思考が作り出した、想像、妄想、イメージ、思い込み、概念、観念、信念、可能性、予想、こうしたリアルでないものを全て排除するのです。

非二元ほどリアルなものはないとも言えるのですね。

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熟睡の状態で生きる

昔から寝るのが大好きというのがあって、若いときにはちょっと言いづらい面もありましたが、この年齢になると誰はばかることなく言えますね。

何かものすごく熱中できるものがあるという訳ではないからなのか、これと言ってやりたいことがないからなのか。

とにかく若い頃から、寝るのが大好きでした。そして、今も変わらないのです。これは怠け病ではないと思っています。

きっとどこかで、個人として生きることに絶望しているんだと思うんですが、確たる証拠はありません。

ただ、非二元の探究をしていて思うのは、熟睡という状態においては一切の対象が消えているし、苦しみもない。

とにかくどんな苦しみもないというところに憧れがあるのかなと。熟睡中であっても、気づきである自己は消えないのです。

だから、熟睡から覚めたときにああよく寝た、ということが言えるわけです。つまり、自分は継続しているということ。

目指すのは、目覚めている間にあの熟睡の感覚で生きて行けるようにするということなのかもしれません。

女性の自民党総裁誕生

初めての女性の自民党総裁が誕生しましたね。そのうちには、間違いなく日本の総理大臣になってくれるのだろうなと。

男性だろうが女性だろうが別になんの関係もないのですが、それでもやはり凄いことが起きたなという感じはします。

私なりに情勢を見ていたのですが、高市さんは敵が多いので総裁になるのは難しいのではないかと思っていたのです。

つまり、ほとんど期待していなかったので、それなりにちょっとびっくりしましたね。そしてここからが大変なことになりそうです。

高市さんは大変な政策つうではあるのですが、反日議員の多い日本の政治家の中では、きっと前途多難なことになるだろうなと。

下手したら、◯◯されてしまう可能性すらあって、大手メディアや財務省からの途方もない圧力に屈しないでやっていってほしいと願うのです。

まずは積極財政を実施して、日本全体の景気が上向きになるように頑張って欲しいと思いますね。

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