非個人でいることの清々しさ

非二元の質感を感じたくて、気持ちにゆとりがあってその気になった時には、できるだけ気づきの視点に立てるようにしています。

見えているもの、感じているもの、その全てがいつもと何も変わらないのに、その上でダイレクト感が露わになってきます。

身体の中にいる感覚がありながらも、身体とは無縁の気づきの場に全てが現れているのがなんとなく分かるのです。

そこには、無粋な肉体や個人という特殊なものはどうやっても見つけることができないのです。どこにも境界がないのですから。

すると、我々の持つ苦しみというものも実は幻想だったと分かるのです。非個人であるなら、苦しみは不可能なのですね。

非個人においては、大きさも形も場所も何も持つことができないので、比較ということもできないと分かります。

身体なんてないのに、頑張ってどうしても身体と共にいるようにして個人性を作り出していることも見抜けましたね。

個人であるために、かなり骨の折れる努力をずっとしているということにも気づけます。一瞬でいいのでそれをやめてみたらどうかなと。

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