昨日のブログでは、情報だけがあるという内容のことをお伝えしました。でもその情報が一体どこからやってくるのかには触れませんでした。
私は個人的にそれを知りたいと思う気持ちがあるのですが、でもそれは決して知ることはできないのだということも分かっています。
というのも、それは次のような例えを考えてみればいいのです。映画や動画を観ているとき、その動画の中にはその動画のネタ元を見つけることはできません。
あるいは、毎晩見る夢も同じです。その夢の中をどれほど探し回ったところで、その夢がどこからやってくるのかを見つけることは不可能ですね。
そういったことと同じなのかなと。私たちはある意味、この現実世界という夢の住人として、生かされているのです。
だとしたら、これを生み出している情報、あるいは経験、体験がどこからどうやって起こされているのかを知ることはないのです。
とはいうものの、その大元に意識を向けつつ生活するように努めることは可能なのかもしれませんね。
そしてその方法が、非二元をできるだけ意識し続けて忘れずにいるようにすること。別の表現をするなら、気づきの視点でいるようにするということですね。

