非二元では目的と手段が一つになる

私たちは、一般的にお金を稼ぐという目的のために働くという手段を取るし、空腹を満たすために食事をするのです。

このように、自我というのはいつも目的と手段のペアで生きていると言えるのです。その目的を達成するために手段があるのだと。

目的と手段が綺麗に分かれているわけです。これがほとんどなのですが、たまには目的と手段が一つになっている場合があります。

たとえば、ギターを弾いてみたいという時、ギターを弾くことが目的であり、そのための手段はギターを弾くことなわけです。

そうした時には、目的は目的ではなくなり、手段も手段ではなくなってしまいます。つまり、ただそれが起きているということ。

そしてここには、自我の姿はありません。つまり無我の境地でいる時には、必ず目的と手段が一つになっているのです。

大笑いしている時というのは、ただ大笑いしているだけであって、笑う目的も笑うという手段もありません。ここに自我の戦略はありません。

ただし、作り物の笑いの場合には、嫌われたくないという目的のために笑いという手段を取ることとなり、目的と手段は分離するのです。

覚醒するという目的のために瞑想という手段を取る。覚醒というのは自我からの解放を意味するので、自我から解放されるために自我の生き方をしているのです。

目的が消えた時、自動的に手段も消えていくわけです。これが二元が非二元になるということを意味しています。

毎日の生活の中で、目的と手段が一つになっている、あるいは双方が消えている時だけ、あなたは輝いているのですね。