自分はいないんだ、自我というのは架空の存在なんだ、という情報に触れてからどれくらい経ったのだろうと思うことがあります。
最初にそれを知ったのがいつだったかは覚えていないのですが、ただそのことがとても新鮮でしかも気持ちいいものだったことは明確に覚えています。
この悩ましい自分が本当はいないんだということが、どれほどの救いになったことか。本当に気持ちが軽くなったのです。
ところがそこからが長かった。というのも、そういう情報を聞いたところで、毎日の生活が変わるわけではなかったからです。
瞑想をしようが、osho の講話本を読もうが、特別な大きな変化はやってこなかったのです。それでも瞑想は日々断続的にやっていたのです。
そんな折に、ふとしたきっかけでこの世界には実体というものがないことに気づいて、そこから非二元の探究が始まったのです。
それからは、時空も物質も存在しないことにも気づいてしまい、どれほど頑張ったところで自我などというものの居場所がなくなったのです。
そしてゆっくりと、少しずつではあるのですが、無理なく自然と自我という自分の中心が薄れてきたのです。
自我はいなくならなくてもいいと分かったし、そこに拘る必要がなくなっていったのですね。そんなわけでみなさん、気楽に行きましょうや!

