身体は健康である限り、その存在を主張してこないというのは本当ですね。内臓も調子がいいと、どこにあるか分からないくらいだし。
歯なんて虫歯にでもならない限り存在感ないし、目だってゴミでも入らない限りは感覚はないと言ってもいいくらいです。
それはきっと、不具合がある時にそれを知らせるという目的があるのでしょうね。分からないまま過ごしてしまわないように。
ここが悪いということに気づけば、それなりのケアもできるわけで。それと同じなのかどうかは分かりませんが、自我も似たような傾向にありますね。
肉体的にも精神的にも健康を害してしまうと、「私」が目立ってくるのです。「私」の自己主張が激しくなるのです。
それもやっぱりケアして欲しいという現れなのかもしれません。ということは、具合が悪い時にこそ、自我の存在が希薄でいられたら素晴らしいということかと。
心身共に健康的な状態では、自我は比較的静かでいられるということです。このような時こそ、非二元の探究には最適なんだろうと思います。

