催眠療法(ヒプノセラピー)について
催眠療法による癒し |
催眠によって何を癒したいか、何を知りたいか、それがまず最も重要なことです。もしもあなたが何の目的もないままに催眠を受けたとしても、それなりの効果があるのは事実です。しかし、当人の意思があるかないかで、効果そのものの方向性が全く変わるといえます。
催眠を受けると、それだけでリラクゼーションの効果があります。催眠から目覚めたときの爽快感によって、自分の抱えていた問題さえも暫くの間は考えなくてよいような気持ちになることさえあります。もちろんその爽快感に導いてくれるのはセラピストの技量にもよりますが。
催眠をどのように進めて行くか、様子を見ながら誘導して行くのがセラピストであるのは言うまでもありません。しかし、すべての方向性を本当に決めるのは、催眠を受けている本人でしかないのです。催眠状態に入っていても、言いたくないことは口にしないし、したいと思わないことはしないことから考えても、主導権がセラピストにはないことは明らかです。催眠はあくまでも手段なのであって、真の癒しをすすめるのは、自分自身でしかありえないのです。
なぜ催眠なのか |
極論から言えば、催眠ではなくても癒しは起こります。しかし、深くリラックスした状態で、セラピストの力を借りてセッションをすることは、癒しをとても穏やかに進める手段になります。もしも自分一人で問題になっている事柄や感情を再体験しようとしたら、ワークの間はかなりの精神的負担を自分に強いることになるでしょう。また、当ヒーリング・オフィスの別のセッション・メニューでもあるヒーリングを受けるのもよいのですが、自分の問題や感情と向き合いたいという人の場合には能動性が欠けているように感じてしまうかもしれません。これらの点から、自分で進めてゆくという主導権がはっきりしていて、かつプロフェッショナルのサポートを受けられる方法が催眠療法だと言えましょう。
セッション時間は、カウンセリングを含めて2時間程度です(初回の場合にはもう少し時間がかかることもあります)。セッションそのものによって開放感を感じたり、セラピストの言葉によって心を静めたり、さらにセラピストとの信頼関係による安心感を得るなど、そのセッション間にたくさんの癒しが起こることは疑いようがありません。しかし、重要なのはセッションの後だということも事実なのです。
セッションをして、ああ気持ちがよかった、で終わらないのが人間です。なぜあの年齢に退行したのか、なぜあの人とのあのようなエピソードを見たのか、見たもののテーマは何だったのか。あとからたくさんのことを考えて、さらにその感情を思い出したりそれ以外の感情を付随的に思い出して奇妙な感覚にとらわれることさえあるかもしれません。時には辛い体験になるかもしれず、あとからあとから感情や過去のエピソードなどが沸き起こることに対処しきれない場合も出てくることもあります。
しかし、こうしたことすべてが催眠によって起こる癒しなのです。セラピストがこうしたから、という他力本願的なものではなく、あとから起こる体験というのはすべて自分が能動的に「選択」しているとさえ言えるのです。考えを巡らせる間に、本当は自分はあの時の感情はこうで、親にこういったことを分かって欲しかったのに、自分で全て見ないふりをしてしまったようだ、というように、点で現われてきたことが実は線で繋がっていたことに徐々に気づくことが多いのです。また、場合によってはふとした時に情報のようなものがやってきて、セッションのときに見たものとその後のことの関連や大きなテーマなどについてただ「分かる」体験をすることもあります。これはおそらく、当人が催眠によって現実を見、癒しと気づきを受け入れる準備ができたということで、それまで受け取れなかった次元の情報を受け入れられるようになったということなのでしょう。
こうした癒しの過程を経ることで、現状にある自分を再認識することができます。退行(この場合は主に年齢退行ですが)によってそれぞれのエピソードの意味や感情のあり方を捉え、納得してゆけるのです。また現状に至ったことも、全て自分で選択してきたことだと理解できれば、現在のありのままの自分を受け入れられるようになってゆくはずです。感情にも、意思にも、「間違い」や「善悪」などはないのですから。ただ、催眠での体験によって受け容れられれば、それで癒しは始まるのです。
全ては現実に起きていること |
例えば、幼児期に退行して、両親に十分に愛されていなかったことに関するエピソードを見たとします。本当は愛されたかった、という気持ちが出てきたときに、最後にセラピストの誘導で「じゃあお父さんとお母さんにそのことを伝えようか」と促されたとします。 こうしてイメージの中で誰かと話したという場合、通常はその行為は「イメージ」でしかないと考えがちです。ところが催眠のセッション中にしたことというのはすべてが現実なのです。現在のあなたが、子供の頃に退行して両親と話し合うという内容のセッションの後、なぜかお互いの関係が以前よりも自然になったり、両親が突然子供の頃の話をし始めるなど、変化が現れます。なぜこのような変化が起こるのか、初めは気づかないかもしれません。退行催眠のセッションを受けたからといって、それが自分自身の癒し以外の外界に変化が起こるなどとは思いもしないからです。
大変不思議に思えることかもしれませんが、もしも自分が変化をしたならば、周りにも変化が起こるものなのです。催眠の中で根気強く他の人々と話をすることは、自分だけでなく、間違いなく周りの人々にも影響を与え、癒しをもたらすのです。一度このことに気づいたなら、ある種の感動と共に自分自身の癒しはとてもはやく進むことでしょう。ここでも、本人が自分の意思で癒しを進めるという姿勢がものを言うことは明らかです。そして、現実は意思の力によって変えられるものなのです。
セッションは共同作業 |
上で述べたような催眠療法の過程でもうひとつ重要なのは、セッションはクライアントとセラピストの共同作業であるということでしょう。しかし、共同作業だからといって相手に合わせたりする必要は全くありません。もちろんセラピストに協力しようという意識がなければ催眠にはかかりにくくなりますし、もしもはじめのカウンセリングで合わないと思ったら、断って一向に構わないものなのです。相性がよくないと思いながらセッションを続けても、効果があまり期待できないのは当然のことです。
催眠療法では、通常クライアントとセラピストは同等です。つまり、クライアントは「癒してもらおう」という受動的な姿勢でいてはあまり意味がなく、また、クライアントがセラピストの方を主導権を持ったプロフェッショナルとして認識しすぎると、クライアントはセラピストに単に「協力」するような形をとることとなり、セラピストの誘導にすべてを委ねてしまうことになりかねません。場合によっては、セラピストが必要と思われる方向に多少無理にでも誘導することはあります。その場合は、普通はクライアントが重要だと分かっていながら敢えて見ないようにしていることがらやエピソードが見られるようにするもので、クライアントもそのことを認識すればお互いの方向性は一致してきます。
「ひとつとして意味のないセッションはない」。これはセラピストとしての私の経験からの言葉ですが、このことはクライアントにとってもセラピストにとっても言えるのです。おそらくどのようなセッションでも、成功も失敗もなく、ただあるのは学びと癒しへの道なのかもしれません。