やらなきゃ病について

 自分がやろうと決めたことをきちんとやり遂げることができたときは、とても気持ちのいいものですね。やり終えた時の充実感もあるし、しっかりとした大人になったような気がするかもしれません。しかし、やろうと思えば思うほどやれなくなってしまうという矛盾した経験をしたことはないでしょうか?逆に、やってもやらなくてもどちらでもいいやと気楽に思っていたり、ふと気がついてやろうと思い立ったことなどは、比較的簡単に実行できたりするのです。

 明日は仕事で早起きしなければいけないので、今晩は早めに寝なければと思って床につくと、なかなか寝つけないということが起きたりしますが、明日はお休みだから夜更かししても大丈夫と思っていると、意外にすぐに寝付けたりするのです。きっとこういったことは誰しも多少なりとも経験していることだと思います。実際に寝つきを悪くさせる要因というのは他にもいろいろと考えられるのですが、この場合のように、早く寝なきゃという意識も寝つきを悪くさせる一つの大きな要因であるということが言えるのです。

 このように何かをやらなきゃと思う気持ちが強くなればなるほど、逆にやれなくなってしまう困った状態のことを『やらなきゃ病』と呼んでいます。理屈から考えるととても理不尽な事ですし、自分の事ながら訳が分からないというのが本人の正直な気持ちかもしれません。しかし、このやらなきゃ病はみなさんが思っている以上に大勢の人がかかっているのです。しかもやらなきゃ病にかかっている多くの人は、やらねばと思っていることができないでいる自分をひどく責めてしまいます。そのことが更にやらなきゃ病の症状を進行させてしまうことになるのです。

 この不自由な『やらなきゃ病』の原因はいったい何なのでしょうか?それを解明していくために、まず初めにやらなきゃという意識はどこから来るかということを考えてみます。やらなきゃという意識は、やるべきことの計画を立てて、それを実行するということです。ではなぜ計画を立てるのかというと、無計画でいるよりも間違いが少なく、無難に事を遂行できるだろうと思うからです。つまり、より安心したいがために、人は計画を立てるのです。

 しかし、計画を立てるだけでしたら何も問題は起きないはずです。人は誰でもやろうと思っていることが日常的に次々と発生してくるものですし、それを効率的に抜けなくこなしていけたら生きやすくなるのは分かっています。やらなきゃ病の人の問題は、やろうと思ったことを無意識的にすぐさまやらなきゃに変換してしまうところにあるのです。計画を立てて思い通りに実行して安心したい気持ちが強くなればなるほど、このやらなきゃへの変換をしてしまうということです。

 なぜ安心したい気持ちが強いかというと、それは不安な心が強いからに他なりません。つまり、心の中に不安を沢山抱えて生きている人ほど、やろうと思っていることをやらなきゃに変換してしまうということになります。このような変換作業を長く続けていると、本人にとって本当に必要となるやるべきことだけでなく、どんな些細などうでもいいことでもやらなきゃに変換してしまうようになってきてしまいます。

 一方、このやらなきゃという意識は、やるべき、あるいはやらねばならないなどの言葉で言い換えると分かりやすいですが、そこには義務感のようなものが含まれているのです。無事計画を遂行して安心したい、つまり不安を払拭したい一心で自分に負荷をかける結果となってしまうのです。成熟した大人の意識であれば、ちょっとやそっとの負荷には負けないで立ち向かっていくことも可能ですが、幼い子どもの意識であるインナーチャイルドにとっては強制されたと感じるかもしれません。

 インナーチャイルドというのは、元々が親からの共感が足りなくて、不安の塊として大人の自分の心の中に生きている子どもの時の意識です。この不安感がやらなきゃへの変換をさせていた原動力でもあったのです。そして、共感してもらえないどころか、親からの様々な強制に無理して従ってきてしまっている場合も多いのです。そういう場合であればなおの事、、大人の自分が心の中でつぶやいたやらなきゃに対して、インナーチャイルドは親からの強制と同じように感じて、強い力で抵抗しようとするのです。この抵抗力がやらなきゃ病を起こすのです。

 親に対しては怖れなどの理由から抵抗できずにいたインナーチャイルドも、自分自身による強制に対しては断固として反発してくるのです。その本当の気持ちは、いやなことから自分を守ろうとする本能的な心の反応なのです。その抵抗の力が小さい場合には、大人の理性が勝ってやるべきことをこなしていくことができるかもしれません。ただしその場合でも何となく面倒に感じたり、やろうと思ってもなかなか始められずに、ぎりぎりになるまでグズグズしてしまうといったことが起きるかもしれません。

 例えば、先ほどの寝なきゃという意識によって、布団やベッドになかなか行けなくさせられるということもあります。本人はそのことに気づいていないでいつまでも居間などで意味もなく起きていたりします。このように、やらなきゃ病はとても面倒な症状を作り出します。早く布団に入って寝る体制になればいいと分かっているのですが、それができないのです。かえって、コタツやソファ、あるいは床などのいわゆる寝る場所ではないところでは、無理なくごろっと寝ることができてしまうのです。

 インナーチャイルドの抵抗の力がもっと強い場合、あるいは何かの理由で本人が是が非でもやり抜こうとする場合には、物理的な身体の症状を起こすことによって抵抗される場合もあります。なんとも言えないような具合の悪さに始まって、頭痛や吐き気、腹痛、異常なだるさ、足の痛みなど、そして更に悪化した場合には心身ともに鉛のように重くなって無気力にさせられて、まったく身動きできない状態になってしまいます。ここまでくると、やらなきゃいけないと思っていることなど到底実行できなくなってしまいます。これがいわゆる鬱症状というものなのです。

 学校へ行けなくなってしまった、いわゆる不登校の子どもの心もこのやらなきゃ病が巣食っていると言えます。本人は親にも面倒をかけてしまっているので、明日こそは学校にいかねばと思うのですが、そう思えば思うほど明日の朝になると、身体が自由にならずに結局登校することが困難になってしまうのです。社会人の出社拒否症なども同じようなものかもしれません。会社の建物を見たり、朝電車に乗ろうとするだけで気分が悪くなってしまうなどの症状を起こしてしまうのです。

 やらなきゃという意識に対するインナーチャイルドの抵抗する手段としてもう一つ強力なものがあります。それは、インナーチャイルド自身が持っている大きな怖れの感情を利用するという方法があります。今日はどうしても出かけなきゃと思って家を出た途端に、人の目が怖くなってしまったり、電車に乗ろうとしたら急に電車が怖くなってしまってとてもじゃないけど乗ることが出来ないといったことが起こる場合があります。

 このように、やらなきゃ病は他人から見ればその症状はそれほど目立つようなものではないのですが、本人にとってはとても深刻な事態を引き起こしてしまいます。他人から見て分かりづらい理由の一つとして、自分以外の他人がやらなきゃいけないことに絡んだ場合には、やれる確率が高くなるということがあるのです。つまり、人と約束していたり、それができないと人からの評価が下がると思われるような場合には、理性が勝って計画を遂行することができるようになる傾向があるのです。ただし、それも度を越すとやはりやらなきゃ病の症状が強く出て、逆に何もできなくなってしまうようになってしまいます。

 このように本人にとってはとても深刻な『やらなきゃ病』を克服するには一体どうしたらいいのでしょうか?今まで見てきたように、やらなきゃ病の根底にあるのは、子どもの頃から溜め込んできた大きな不安感と、一方的な強制を我慢してきた怒りなどの感情なのです。従って、根本治癒を望むのであれば、自分癒しを進めてそれらの感情を充分に開放してあげることがどうしても必要となります。そのためには根気強く過去の記憶を辿りながら、時間をかけてゆっくりと過去の自分を解放してあげることが大切なのです。

 また、日々の生活の中で、できるだけ計画を立てないように心がけて暮らしてみることも効果的かもしれません。計画を立てなければ、やらなきゃに変換することもできなくなりますし、大切なことは思い立った時に実行してしまえばいいのです。特に、やるべきことを紙に箇条書きに書いたりする癖がある人の場合には、出来る限りそれをやらないように生活を工夫してみることです。きっと、少しずつでもやらなきゃ病の症状が薄れていくはずです。その場合、勿論計画をしないことでの不安感と向き合って、その気持ちと戦うことが必要となるはずです。

 計画的に生活するということで言えば、子どもの頃に夏休みの宿題として毎日の生活パターンを円グラフに描かされたことを思い出します。計画的に生きることが正しくて、それを守れないのは自制心のない怠け者だという教育があったのかもしれません。しかしよく考えてみると、計画した自分が自分の人生の主人であるはずなのに、一旦計画ができてしまうと、自分の意志や気持ちよりもその計画そのものの方が優先されるべきという考え方なのです。これでは、主従逆転してしまっていると言わざるを得ません。

 少なくとも大人になった自分が計画したものは、いついかなるときでも自分の意志でその計画を変更したり却下したりしていいはずなのです。元々人生の中で、どうしてもしなければならないというようなものはほとんどないはずなのです。こうした考え方をできるだけ取り入れて生活することもやらなきゃ病からの脱出につながるかもしれません。

 最後にもう一つ、やらなきゃ病に効果のあることとして考えられることに、やることの中に何らかの楽しみのようなものを見出すように工夫しておくというのがあります。やろうと思ったことをたとえやらなきゃに変換してしまったとしても、何かやりたくて仕方がないと思えるようなことがあると、インナーチャイルドは抵抗の力を緩めてくれるものです。そして、癒しを進めてやらなきゃ病を克服できたら、いくら計画的に生きても問題ありません。しかし、その時にはもう計画を立てることにそれほど興味がなくなってしまっているかもしれません。