自分を許す

 会社を辞める少し前に、あるセミナーに参加したのですが、その時のことです。二日に渡る講義がやっと終了して、ようやく開放されると思いながら講師の方のまとめのお話を聞いていると、とても不思議なことが起こったのです。お話しの内容にはさほど興味があったわけでもなく、早く終わるといいのにくらいに感じていたはずなのですが、何となく少し涙がにじんできたのです。

 あれ、何だろうと思いながらもメガネをはずしてハンカチでにじんだ涙を拭いて、またメガネをかけようとしたときに、もっと涙が出てきたのです。そして、もうメガネをかける暇がないくらいに次から次へと涙がどんどん出てくるのです。初めて会った20人くらいの人達と一緒の空間で、誰も泣いてる人などいないのに何で自分は?と思っていると、今度は嗚咽が始まったのです。

 シーンと静まり返った会場には、講師の方の声と自分が子供のように泣いている声が響き渡っています。不思議なことに、泣きながらも常に冷静な自分がいて、そんな状況を見つめながら穴があったら入りたいというのはこういうのを言うんだろうななどと考えながらも、泣いている自分を止めるでもなくそのままにさせているのです。

 自分の泣き方、泣き声ってこんななんだなとか、本当に泣くと涙よりも鼻水が止め処もなく出てくるのだなと思っているのです。思えば、小学校の高学年くらいからその時まで本当の意味で泣いたことはなかったかもしれないと思ったのです。アシスタントの人がティッシュを持ってきてくれるのですが、それでも鼻水が次から次と出てくるために対処できないというところまで行きました。

 一体自分はなぜ泣いているのだろう?と思い、いろいろ心の中を探っても何の記憶も出てくるわけでもなく、これという感情が出てきてるということすら分からない状態だったのです。それでもぼんやりと感じたことは、泣いてもいいのでは?という気持ちになっていたのかもしれないということでした。全く自分では意識していなかったのですが、泣いてはいけないという縛りがあったのです。

 それまでの毎日の生活で泣くのを我慢したという実感もないのですが、心の奥深くで自分は泣いてはいけない、人に弱みを見せてはいけないという意識があったのだろうと思えたのです。それが、二日間に渡る講師の方のお話や、その場の雰囲気などから気づかぬうちに泣いてもいいよという気持ちになっていたのでしょう。縛っていたその気持ちがほぐれた瞬間だったのです。

 だからこそ、悲しいわけでも辛いわけでも何でもないのに、止め処もなく涙が溢れてきたのです。泣き止んだ後は、恥ずかしい気持ちを除けば何かすがすがしい感じさえしたのです。これが許すということなのかと気づいたのです。どんなことでもいい、自分を許すというのはこんなにも気持ちが晴れ晴れとするすばらしいことなのかと分かったのです。

 そして、自分をあそこまで泣かせるエネルギーが自分の中に隠されていたということが一番の驚きでした。それまでの人生で、無意識で感情を抑えて泣かないようにしていたものが、心の中に溜まって次第に大きな塊と化していたのでしょうね。その時に、感情は我慢して溜め込んではいけない、感じて開放すればとても心地いい状態になれるということを学んだのです。

 セミナーが終了して、生徒のみなさんが三々五々帰っていくときに、自分は恥ずかしくて席でずっと俯いていました。すると、一人、二人、そして何人もの方々が私のところにやって来てくれて、泣き声を聞いて感動したと言ってくれたのです。それを聞いたときに、ああ、自分は大きな勘違いをしていたのだな、みっともない自分を見せても嫌われないのだなと実感したのです。

 本音で生きている人を見ると、いやな気持ちがするどころか、どこか気持ちがいいのでそういう人の方が比較的人から好かれるということは知識として知っていたのですが、そのことを実感として理解できた瞬間でした。自分を守るためにやってきた泣いてはいけないという無理は、とんだ独りよがりだったということです。素直な自己表現をしても決して嫌われないということです。

 この気づきのおかげで、それからの人生が変わっていきました。それまで自分に課してきた様々な制限をできるだけ取っ払って、なるべく自分を許すことを心がけて生きていこうと決心できたのです。