改めて「色即是空」を見直す

般若心経というお経の中に、誰でも聞いたことがある超有名な言葉がありますが、それが「色即是空 空即是色」ですね。

悟りの境地に達したような人が書いたお経なので、私のような素人にはどの程度理解できるのかは分かりません。

ただ何となく、この世界、この宇宙にあるものは全てが空だ、と言っているのだろうなという予想はつきます。

自分が生きているこの世界を見渡してみて、あまりにもリアルなものですから、それらが全て空だと言われてもね。

という正直な自分もいますが、もう一方ではそれはその通りだと勝手に理解できている奴もいるような気がします。

リアルの反対はフィクションということになるのですが、どうしたら全てがフィクションであることを見抜けるのか?

それには、絶えず働き続けている思考(言葉)によって、フィクションを見せつけられていることに気づかねばなりません。

例えば、目の前にテーブルと椅子があるとして、そもそもテーブルとか椅子というのは概念でありフィクションです。

その概念という色眼鏡をかけて、目の前にある物体を見ているのでそれがテーブルや椅子だと判断しているということです。

これと同じことがあらゆることに言えるわけです。自分自身を見る時にも同じことが言えて、何者でもなさに気づけば、自分はフィクションつまり空であると分かるのですね。

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こちらの動画も是非ご視聴ください。

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