不連続な体験

 あるセミナーに参加して、瞑想している時のことです。今まで経験したことのないような不思議でしかも感動的な体験をしました。瞑想状態に入る前から、何となく自分の心の中で何かが起きつつあるのは分かっていたのですが、その感覚に身を任すようにしていたら、ただ感情が開放される時とは明らかに異なる別の感覚がやってきたのです。

 まず最初にやってきたのは、自分は笑って欲しかったんだという感覚でした。人は大抵、自分が意図してないにもかかわらず、自分の言動に対して他人から笑われることに不快感を感じるはずです。何となく馬鹿にされたような感じがしたり、極端に言えばあざけりや嘲笑されたように感じたりすることがあるはずです。

 相手が自分に対して誠実な態度で接してないような、失礼な感覚になるものです。そういうデリカシーのなさに敏感だったのですが、その時はその感覚が全く消えうせていて、逆に自分のことをもっと笑って欲しいという感覚になっていました。心のどこかでこれはとても不思議なことだなあと思っていたのを覚えています。

 そしてなぜ笑って欲しかったのかを感じている時に、自分は愛されたかったのだと分かったのです。笑いというのは愛のエネルギーなのでしょう。だからこそ、笑いは愛、自分は愛されたかっただけなんだと分かったのです。人は誰でも愛を欲しているものだということは当たり前のこととして認識していたことですが、それを体感したのは初めてのことでした。

 こんなにも、頭で分かっていることと体感すること、経験すること、実感することとが違うのかとまた改めて思い知ることになったのです。更に、休むことなく、次は自分が生まれてから現在までに自分とかかわりのあった人達が順番に出てきて、その人たちへのとても深い感謝の気持ちが降ってきたのです。

 その感謝の気持ちも到底考えても見なかったくらいに凄まじい量のものが一度にドカンとやってきて、その感覚を受け止めることができないくらいになって、ずっとうなり声のようなものをあげていた記憶があります。中心となるのはやはり家族に対する気持ちでしたが、そのほかにも大勢の人達が心の中に浮かんできました。

 瞑想中に何かの感情で泣いた経験はありましたが、感謝の大きさにどうしていいか分からなくて唸りながら泣いたのは初めての経験でした。そしてその後、今度はすべてが恩恵なのだという感覚に占領されました。この恩恵というのは、感謝の気持ちの一つなのですが、足りないものは何一つなかったんだというような感覚です。すべてが満たされている、それが恩恵だという感覚です。

 そして、すべては完璧だというのが次にやってきました。これは自分だけのことではなく、自分が認知しているすべてにおいて何の問題もないという感覚でした。そして最後に、このすばらしい人生を設定してくれた何者かにも感謝します、というような気持ちになったのです。結局この流れをあと2回くらい繰り返したと思います。この時に初めて自分は生まれてきてよかったと思えたのです。

 正確な時間は分かりませんが、1時間以上もこんな状態でいたのです。これは今思えば、自分はまさしくエゴではないということを体験したのだと思えるのです。エゴからはずれて、愛と繋がった時間だったのでしょう。ずっと大勢のみなさんと一緒に椅子に腰掛けていたのですが、何か自分一人だけ壮大な旅をしてきたような感覚でした。

 この時、本当に今までの自分と切り離された自分というものを認識したのです。それまでは、意識するともなく何となく自覚していたことですが、自分はこういう場所で生まれ育って、こういう両親に育てられて、その流れに沿って大人になって仕事をして結婚して親になって、という連続したものの結果としての自分がいたのですが、ここで何かが変わったのです。

 明らかに今までの自分と不連続である自分がそこにいました。過去というのは、ただ感謝する対象であって、それ以上でもそれ以下でもないという感覚。愛とは何と単純明快な感覚であり、なんと感動的な体験なんだろうと思いました。この感覚を忘れたくない、いつまでも浸っていたいと思ったのです。

 しかし、瞑想の時間が終わって、グループごとに集まって、今めいめいが経験したことを分かち合うことになったのですが、自分の話をみんなにしようとした時に、エゴが静かにしかししっかりと心の中に入ってきて私の心を占領していくのがはっきりと分かりました。愛のままでは人前で話しができないということです。とても残念でしたが、それもいい経験でした。

 この体験をしてから、本当の自分はエゴではないということをはっきり自覚するようになったし、出来る限りエゴから離れるようにしたいという意識が強くなったように感じています。それと同時に何か大きなものが自分の心の中にあり、それはまさしく愛であり、それが本当の自分なのだと明確に分かったのです。