個と全体について

 我々人間の身体にはおそよ60兆個の細胞があるといわれています。それは膨大な数ですが、その細胞の一つひとつは別々の役割を担っていて、どれ一つとして全く同じものはありません。大きい分類で言えば、ある細胞は爪であったり、またあるものは心臓であったり、脳神経だったりという具合に個々の細胞は機能が全く違っています。

 それはちょうど地球上に60億を超える数の様々な人間が住んでいて、誰一人として同じ人間はいないのと同じです。それぞれの人間は別々の姿かたち、名前、個性を持って違う体験をしながら生活しています。地球上のすべての生物も数に入れたらそれこそ膨大な量の個性や体験になるはずです。そして一つとして同じものはありません。

 ご存知の通り、我々の身体を作っているすべての細胞は、元をたどればたった一つの受精した細胞が、細胞分裂を繰り返すことで60兆もの数に膨れ上がるのです。分裂することによってできたすべての細胞には、全く同じ遺伝子が含まれています。60兆個のどの細胞を取り出して中身を調べても完全な遺伝子が入っています。

 つまり60兆個の細胞一つひとつは個であるけれども、最初のひとつの細胞だった頃と全く同じもの(全体)をすべての細胞が持っているのです。分裂を繰り返すある段階から人体の設計図に沿って、それぞれの細胞は皮膚になったり臓器になったりして分化していくのです。そして、一人の人間(全体)として生きるために、すべての個である細胞がそれぞれ協調しあって機能しているのです。

 これは余談なのですが、最近あるニュースで細胞を分化前の状態に初期化する遺伝子を用いて、人の皮膚細胞から万能細胞と言われる細胞を作ることに成功したと聞いたことがあります。つまり、万能細胞を使えば、人体のどんな細胞にも分化させることが可能になるということです。新たに心臓を作ったり、眼球を作ったりといったことが夢ではなくなるということです。

 さて地球からみたら一つひとつの小さな細胞のようなものである我々人間はどうなのでしょう?人間も元をたどれば一つの大きな全体からある種の分裂をして個として生まれてきたのではないでしょうか?ということは、我々は個ではあるけれども全体と同じ遺伝子を内包しているということになります。それは、元々全体が持っている大きな叡知のようなものかもしれません。

 以前のコラム『本質の意識について』の中で述べたことは、この事だったのです。つまり、我々は自らの意識の奥に内包している本質の意識と繋がることによって、個であると同時に全体であるということを思い出すことができるということです。逆に言うと、エゴの発生とともに全体から孤立する道を選んでしまったために、全体であることそのものを否定して忘れてしまったのです。

 我々の苦悩のすべては、自分は個であり、全体ではないという感覚から生じているのです。全体であることを思い出せば、孤独、怖れ、怒りなどが必要なくなってしまいます。全体ではないと思うことで、様々なネガティブな感情の中に投げ込まれ、無意識のうちに全体に対して氾濫を起こすようにさえなっていってしまうのです。それはあたかも人体における癌細胞のように。

  アポトーシスというのをご存知でしょうか?生物の発生過程で、あらかじめ決まった時期、決まった場所で細胞死が起こり、これが生物の生態変化などの原動力となっているそうなのですが、そのように細胞が自ら死んでいく仕組みをアポトーシスというそうです。オタマジャクシからカエルに変態する際に尻尾がなくなるのはアポトーシスによって、尻尾の細胞が自殺するからなのです。

 人の指の形成過程も、始め指の間が埋まった状態で形成し、それからアポトーシスによって指の間の細胞が予定死して指ができるらしいです。実は我々の身体の中では常に癌化した細胞が発生していて、それをアポトーシスによって取り除かれ続けているそうで、これにより腫瘍の成長が未然に防がれているということです。

 全体であることを忘れ、孤立して身勝手に生きている我々は、もしかしたら地球全体から見れば、体内の癌細胞のようにみなされてしまうかもしれません。その際は、アポトーシスの機能によって死を選ばねばならなくなってしまうかもしれません。大きな地震や気象異常などによって甚大な被害が多発するようなニュースを見聞きするたびに、アポトーシスを思い出してしまいます。

 被害に遭われた方々が悪者であるということでは決してないのですが、大きな全体として捉えると、地球は自らのアポトーシスの機能を使って他と協調することができなくなった人間を排除し始めているのかもしれません。大切な地球を救うためにはそれが必要だと思うと、何とも悲しい気持ちになってしまいます。

 それが事実かどうかは別として、私たち一人ひとりが個であると共に全体であることを思い出すことが今是非とも必要なのではないかと感じています。現代の社会はそのほとんどがエゴが作り上げたものと言っても過言ではありません。自分の国、自分の家族、個である自分が安心できればいいというエゴの論理がこの社会のメカニズムの基礎を握っているのです。

 私たちがエゴで生きるとき、自分は個であるということばかりが強調されて、自分の中に全体が内包されていることを忘れさせられてしまうのです。エゴを手放し、個である自分を愛の方向に導いて救うことができれば、それはそのまま全体を愛で包むことになることを思い出す必要があるのではないでしょうか。