対立のバリエーション

 対立と一言で言っても、その姿形は様々な様相を呈しているというお話しです。元々愛の中でぬくぬくと生きていた幼い子供が、恐怖を感じるようになって、驚き、戸惑い、そして次第にその怖れから身を守ることで生きていこうとするその時に、自分の周囲と自分を分離させて、対立を作っていくのです。逆に言うと、分離を継続させるために対立状態が必要なのです。

 そして対立する本当の相手は愛なのです。しかし対立する相手が愛だと認めてしまうと、愛の存在そのものを認めてしまうことになるので、エゴは愛の存在を否定しておいて、現実的な他人に対する対立という形に変えてしまいます。そして、愛などというものは架空のものなのだとするのです。愛が怖いなどとは口が裂けても言いたくないのです。

 さて、対立の形として最も分かりやすいのはどんなイメージでしょうか?機関銃を乱射しながら人々の中を歩いている暴漢の姿はどうでしょうか?大掛かりなものでは、国と国の戦争や宗教間の戦争も対立ですし、暴力団どうしの抗争もそうですね。政治家が国会で罵倒し合ったり、目が合っただけで眼つけたなと言いがかりをつけてくる人、身近なところでは学生や生徒が教師に反抗的な態度をとる、金属バットで親をたたきのめす息子、ひきこもり、形は様々ですがみんな対立です。

 このように怒りが前面に出ているような対立の場合は、対立として分かりやすい形なのです。逆に怖れによる対立は分かりづらい場合が多いのです。例えば、対立なんてしてませんよという仮面をつけて対立する場合など、自分も相手も簡単に騙されてしまうかもしれません。ソトヅラばかりよくて、ウチヅラが悪い人などはその典型です。

 世間では世話焼きで親身になって相談に乗ってくれると評判の人が、意外に家族からは酷評されてたりすることがあります。こういった人は、外では愛で生きている自分を演じる方法によって、対立を隠すことで他人との対立を維持しているのです。プライベートな人間関係では、親しい間柄であるほど、対立が目立ってきます。一番対立が表面化しやすいのは、夫婦、親子、兄弟、恋人などの関係です。

 ストックホルムシンドロームというのをご存知でしょうか?かつて、ストックホルムで銀行強盗が人質をとって一週間くらい立てこもった事件があったのです。 その時、人質となったある女性が犯人の男性のことを好きになり、その一週間の間に婚約までしていたのです。その時、その女性が犯人をだましていたわけではありません。警察によって犯人が捕まり、人質が開放されたとき、その女性は一気に目が覚め、自分がなぜ犯人を好きになって婚約までしたのか分からなかったのです。

 人質にとって犯人は対立すべき危険人物ですが、追い詰められた極端に危険な状態の中で、自分を守るために対立してないという自分を作ることで、対立を維持しようとしたのです。上手に敵をだますにはまず味方(自分)からという作戦だったのです。同じようにして、親にとっての都合のいい子を演じることで親との対立を維持しようとする子もいるのです。

 自己表現をしない、本音を言わない、その場を丸く収めるというやり方で対立を維持しようとする健気な子供は沢山います。この対立の方法は、概ね大人になっても続けていくことになってしまいます。我々は対立してると自覚できている場合と、上記のように気づかずに対立している場合の二通りがあるのです。そして、気づかずに対立しているときこそ、エゴの思う壺なのです。気づかないものはやめられないからです。

 みなさんはゴキブリは嫌いでしょうか?いきなり出てこられたら飛び上がって驚いてしまう人も少なくないでしょう。そんな気持ち悪いゴキブリのことを何とも感じなくなれる方法があるとしたら、率先してやってみたいと思いますか?きっと多くの人はゴキブリを好きになる必要などないと思われるでしょうね。あんな気持ちの悪い生き物など嫌いなままで結構。そう思うのが普通です。

 こんなところにもエゴの作戦は隠れているのです。なぜゴキブリを好きになりたくないのでしょうか?答えは簡単です。ゴキブリのことを好きになってしまったら、対立できなくなってしまうからです。思い出してください。エゴの目的は対立を維持することで自分を守ることですから、対立がなくなってしまうこと自体がエゴにとっては一番危険なことなのです。

 エゴで生きてる我々は、戦国時代で言えばお城を建てて、その周りに深いお堀を作って、そのお城の奥に篭城している殿様のようなものなのです。敵が攻めてきたら城の内側からも攻撃をして相手を倒そうとします。農民が一揆を起こすかもしれないといううわさを聞いたら、年貢を減らして温情のある殿様を演じて、危険から身を守ろうとするのです。

 エゴに騙されないで下さい。自分が対立しているかどうか、注意深く見てあげることです。どんな形であろうと、対立している心の奥には恐怖があります。そして、本当の自分を隠しています。殿様が決して城の中を平民に公開することなどないのと同様、我々は本当の自分を隠すことによって対立を維持しようとしているのです。