幼稚園児の自分

 ヒプノセラピーのスクールに通いだした頃、右手(利き手)で大人の自分の気持ち、左手で幼い自分の気持ちを交互に書いていくというワークをやったことがありました。実際のところ、何をどう書いていけばいいのか、こんなことをやってどんな効果があるのか疑問も感じていました。しばらく思い悩んだ末に、幼稚園時代に自分は本当は幼稚園に行きたくなかったということを思い出したのです。

 そのことを題材にして、大人の自分(右手)からこう書き出しました。(その時書いたものをここに転記します)

(右手): お父さんと同じように会社員になって安定した生活を送れるように頑張りなさいね。

(左手): ぼくは もっとのんびりしたいヨ ずっと家にいて お母さんといつも一緒にいたいのに お母さん
(右手): いつまでも駄々をこねてないでちゃんと幼稚園に行きなさい。ほかの子はみんな行ってるんだから。
(左手): お母さんといつも一緒にいたいのにどうしていられないの?

(右手): 困った子だね。そんなんじゃ小学校にもいけないわよ。どうするの…

(左手): 外がいやなの みんなと同じ生活が苦しいの お母さんとはなれたくないよ どうして

(右手): いつまでそんな事言ってるの?みんな行ってるよ、困った子ね。

(左手): ようちえん行くと さびしくてつまらないし 早く帰ってきたいよ お母さんがいいよ 一緒にいたいよ みんなと一緒はいやだよ なきたいよ 
お父さん どうしてぼくと遊んでくれないの?いつも一人で三輪車のってるんだよ いつも夜いないでしょ お父さん もっと話をきいて 話したいことがあるんだよ ときどきおなかもいたくなるんだよ 
お母さんが大好き だからいつも一緒にいたいよ お母さん はなれるのいやだよ お母さん もっとすなおに大声でお母さんてよびたい 
お父さん お父さんってもっとすなおによんで 何でも話しがしたい いつもあんまり聞いてくれない お父さん ぼくのことあまり好きではないんじゃないかって心配してるの どうしてぼくのこときらいなの?もっともっと思ってることを何でも言いたい どうして言えないの

 その頃の自分だったらこんなことを思っていたんじゃないかということを頭で想像して書いていたのですが、書いているうちに次第にその頃の感情らしきものが胸の奥の方からわき上がってきて、もうそれ以上書き続けることができなくなってしまったのです。そして、声をあげて泣き出してしまったのです。やはり冷静な自分はいるのですが、止めようもないので黙って見ている感じでした。

 そのワークの終了時間になるまで、ずっと泣き続けていたのをぼんやりと覚えています。幼稚園児の頃の感情がこんなにも残っていたことに戸惑いを感じながらも、ああ、これがインナーチャイルドの感情なのだと実感したのです。泣いている間は、やはり何の映像もイメージもわいてきません。ただ、感情そのものの中に入り込んでひたすらそれを感じて味わっているだけでした。

 実は幼稚園に入園してどのくらい経ったころか、膝の関節が痛くて歩けなくなり、半年ほど幼稚園を休んだことがあったのです。その痛みを今思い出すことは全くできませんが、明らかに仮病ではなく、本物の痛みを感じていました。その痛みは朝起きたときに最大となり、とても幼稚園に行くような状態ではなかったのです。

 しかし、30分もすると徐々に痛みが消えうせて、全く普通の生活ができるようになってしまったのです。毎日その繰り返しでした。これほど都合のいい痛みの症状というのもないです。痛みが消えた瞬間から、何の問題もないまま母親とずっと一緒にいられる時間を過ごすことができたのですから。半年くらいして、その原因不明の痛みは知らず知らずのうちになくなっていったのです。

 後になって、日本脳炎のワクチンを注射した翌日の朝からその激痛が起こったことで、そのワクチンの副作用によるものだと分かりました。当時は今ほど情報社会ではなかったため、どこの病院に連れて行かれても、医者は原因不明として首をかしげるばかりだったのです。しかし、それは物理的な理由付けであって、決して偶然に副作用に悩まされたのではないのです。

 当時の幼い自分の何としてでも幼稚園に行きたくない、母親と一緒にいたいというその強い心がワクチンの副作用を利用したのです。病気は必要に応じて自分が引き起こすということです。左手の自分が書いている、「ときどきおなかもいたくなるんだよ」というのも、親に対する訴える気持ちが身体に現れていたのだろうと思います。