自分を映す魔法の鏡

 私たちは日頃自分の姿を見るために鏡を使います。鏡に映った自分の姿を見て、髪型をチェックしたり、服装を直したり、女性の場合にはお化粧をしたりして身なりを整えるのですが、それはあくまでも表面的、物理的な視覚可能な自分でしかありません。鏡に映すことのできない自分の内面的な姿を見るにはどうしたらいいのでしょうか?心の中を映し出す魔法の鏡のようなものがあって、ひとつひとつ自分の心は本当はこうなっているのだというのを説明してもらえるといいかもしれません。あるいは、自分は自分のことを誰よりも一番良く分かっているので、そんなものは必要ないと思っている人もいるかもしれません。

 以前のコラムの中で何度か用いた意識の図にあるように、人の意識、心には、自分でも意識できない潜在意識という部分があって、実はそれが意識の9割近くを占めていると言われています。したがって、自分のことは自分が全部把握できていると思っている人は、相当の自惚れやでしかないことを知る必要があります。今では、ほとんどの人が潜在意識の存在を否定することはないかもしれません。自分を知るということは、実はこの潜在意識の中身を知るという事と言ってもいいでしょう。それでは、先ほどの質問に戻って、自分の内面的な姿である、潜在意識の中身を知るにはどうしたらいいのでしょうか?

 実は自分の潜在意識を映し出してくれる魔法の鏡が存在するのです。それは何だと思われるでしょうか?今までのコラムを注意深く読んで来られた方でしたら、気がつかれるかもしれません。その魔法の鏡は、自分の身の回りに起きる現実の中に沢山散りばめられているということです。普通の鏡の場合は、ただ鏡の前に立って映った自分の姿を見ればいいのですが、この魔法の鏡の使い方はそんなに簡単ではないかもしれません。注意深く起きてることを観察して、その時その時の自分の心の反応にも気をつけていないと、鏡として機能させることは難しいのです。

 ではどんなふうにすれば魔法の鏡を使うことができるのか、例を挙げて説明してみます。クリスチャンの方なら誰でもご存知かもしれませんが、聖書の中に「放蕩息子」という物語があるそうです。それを題材として用いることにします。(物語の内容については、人からほんの少し聞いた程度で正確ではないことをご了承下さい。)その物語は父と兄と弟の3人家族のお話なのですが、兄は父親の仕事をよく手伝って悪い遊びもせずに、一生懸命親孝行する評判の息子なのですが、一方弟の方はあまり親の手伝いをするでもなく、ある日とうとう勝手に家を飛び出して出て行ってしまいました。何年かの月日が流れた後、ある日弟が家に帰ってきたときに、父親は自分の息子が無事帰ってきてくれたことを喜んで、弟を迎え入れようとしたのですが、兄は身勝手に家を飛び出していった弟に腹を立てていて、家に入れようとさえしませんでした。

 そこへ、イエス様御一行が立ち寄って、イエス様が兄に向かって、「お父さんのように弟さんを赦してあげなさい」と言って聞かせたという教えなのです。聖書の解釈はともかくとして、この話は兄にとって自分の心を映し出す魔法の鏡として使えるのです。それは、父にとって放蕩息子である弟が自分の身近にいるという事実です。そして、その弟が帰ってきたときに感じた自分の心の中の怒りの感情です。この二つのことをよく見つめてみることで、本当の自分の心が見えてくるのです。

 兄が魔法の鏡を使って自分の本当の心を知るためには、まずなぜ自分とはまるで違う性格の弟がいるのかということを考えてみることなのです。父親の仕事をろくに手伝おうともしない弟の存在は、何を自分に見せようとしているのかを考えてみるのです。その上で、なぜ帰ってきた弟を広い心で迎え入れることができないのか、弟にやりきれない怒りを感じてしまうのかを見つめてみるのです。そうすると、自分も本当は弟のように自分の意のままに遊んでみたいという気持ちが心の奥にあるということに気づくはずです。

 普段はそんな気持ちは抑圧されているために気づかないで親孝行の面だけが表に出ているのです。長男として、父親の仕事を手伝って助けるのが当然と思っているのです。しかし、本当に父親の仕事を手伝うことを楽しんでやっているのであれば、手伝わない弟に腹を立てる必要はないはずなのです。父と同じように無事帰って来た弟を歓迎してあげることができるはずです。そうやって、自分の本心を気づかせてくれるために弟の存在があり、弟への怒りの感情があるのです。それが、兄にとっての魔法の鏡なのです。イエス様のように赦すということが大切なのだと説くこともできますが、兄の心の中の姿を知って怒りの感情を開放し、兄も自分が本当にやりたいことをやるようにすれば、おのずと弟を赦すことができるようになるのです。

 他にも似たようなもっと身近な例を示します。Aさんは入社してから、ずっと始業10分前には出社して仕事の準備をする生活を送っているとします。彼は、仕事に遅刻することは社会人としてあってはならないという信条を持っているのかもしれません。一方、同僚であるBさんは始業時間ぎりぎりにならないと出社しないのです。そして時々は5分10分遅刻することもあり、それでも本人は何食わぬ顔で仕事をしているのです。そういうBさんの態度にAさんはいつも心のどこかで腹を立てているのです。このケースでAさんが魔法の鏡を使うとするとどうなるのでしょうか?

 まず、なぜ自分とは生活態度の違うBさんが同僚にいるのかということを見つめるのです。そして、なぜBさんの生活態度に腹を立てるのかを考えてみるのです。そうすると、本当は自分だって体調の悪いときや気持ちが後ろ向きのときなどは、遅刻してしまうことがあってもいいだろうと心の中で思っているのかもしれないと気づきます。もし、Aさんが満員電車を避けて快適な通勤環境を求めて、1時間も早く出社するような毎日であったら、きっとBさんの態度に腹を立てたりしないのだろうと思われます。つまりAさんは自分に遅刻するべきではないという制約を課して、その縛りの中で生活しているために、そういった制限のないBさんを妬んで腹を立てていたということです。そうやってAさんは魔法の鏡を使うことで、自分に必要以上の制限を課すことをやめることができるのです。

 魔法の鏡を探す最も手がかりとなりやすいのは、身の回りにいる嫌いな人やもの、苦手な人やものを探すことかもしれません。嫌いとか苦手というのは拒絶を意味します。拒絶は心の中にある何らかの傷に触れないようにする心の反応なのです。だからそこを見つめることは自分も気づかないでいる心の問題を見つけるチャンスがあるということなのです。例えば、自分の上司は、職場の人たちからはそこそこ評判のいい人物なのに、なぜか自分はその上司のことが苦手で、うまくコミュニケーションができないとします。

 このとき、なぜ苦手意識を持っている上司がいるのかを意識して、その苦手意識はどこからくるのかを分析してみるのです。よくよくその感覚を見つめてみると、どうも人を威圧するような態度や口調に自分は怖れを感じていて、それが苦手意識のもとになっていると気づくかもしれません。それではうまくコミュニケーションがとれなくても当然です。そして、次にではなぜそういう上司に怖れの感情を抱くのかを更に見つめてみると、それが自分が小さい頃の父親の態度に似ていることに気づくかもしれません。そうやって、心の深いところにある過去の傷に出会うことができるのです。

 日頃は忘れていた心の傷はそのままでは決して癒えることはありません。潜在意識の中に封じ込められた心の問題は、ことあるごとに毎日の生活を不自由なものにする危険性をはらんでいます。自分を幸せにするためには、まず本当の自分を知る必要があります。知らなければどこをどう治して行けばいいのかも分からないからです。身の回りに沢山ころがっている魔法の鏡を是非見つけて、有効活用してみることです。きっと今まで知らなかった自分の本当の姿が浮かび上がってくるはずです。