「信じる者こそ救われる」と言った言葉があるように、疑い深い人よりも信じやすい人の方が一見良い人のような印象がありますね。
けれども幼い頃ならともかく、自分自身で物事を捉えるようになっていく時に、誰かの言葉をそのまま信じてしまうなら、そこには成長を見込むことができないのです。
信じてしまえば、そこでストップしてしまうからです。自ら検証しようとしなくなるのです。それは、信じないという態度と全く同じなのです。
信じても信じなくても、探究をしなくなるのです。それだけでなく、信じるということは自分にとって都合のいい場合に限るのです。
そして一度信じてしまうと、人間はそれを大切なものだと思うようになるし、それが正しいことだとも思うようになるのです。
つまり、信じたことに執着することになるわけです。すると、それを否定された時に、正しくないと言われた感じになってしまい、自分を否定されたと勘違いするかもしれません。
信じることには、どんな意味もないし、どんな力にもならないのです。そればかりか、強く信じ込めばそれは信念となって、生涯自分を縛ることになるのです。
なぜなら、信念を信念と見抜く代わりに、それが真実だと感じるようになってしまうからです。それはでっちあげられた世界を信じて生きるようなものです。
これが私たちが暮らしているこの二元の世界なのです。非二元の探求を通して、そうしたウソを鋭く見抜くことができるようになるのですね。