非二元の気づきがやってきてからは、これまで以上に人生の全てがただの物語だということになってしまいました。
それまでも、人生物語という言葉は使ってはいたのですが、その頃使っていた「物語」というのとは今はわけが違います。
以前は、物理的に我々は生存していて、その中であらゆる悲喜こもごもの事がやってきて、それはまるで誰かが書いた筋書きのような、ということだったのですね。
ところが、今感じている物語という意味は、丸々なにもないし何も起きていないにも関らず、あたかも物語が起き続けているように感じているということ。
この両者の違いは決定的なのです。今でも不思議でたまらないのですが、何もない世界でなぜこのような直接的な体験だけがあるのか?
物語の中では、様々なルールがあったり因果の法則などがあって、それを元にしてセラピーをしてきたわけです。
だから仮想的な物語内の法則が変化した途端に、私が行ってきたセラピーは何の役にも立たないものになってしまうはずなのです。
もっと破茶滅茶で全く捉えどころのないことの連続として、この世界の見かけが起きたとしても不思議ではないのです。
だから本当に不可思議で仕方ありません。こうした謎は決して解くことのできないものなのでしょうね。