昨日のつづきです。
頑張って何かを成し遂げたとしても、それが真の幸せと連動するものでない限りは、何の意味もないので、達成感を感じないのも無理はないというお話しをしました。
もしそこで、努力に努力を重ねて、頑張って達成したことに多大な達成感、喜びを感じたとしても、それが永続的なものでなければ、幸せはやってきません。
逆に、一つの達成をベースに、次々と目標設定をし続けて、常になにかに向かって走り続けなければならないような人生になってしまう恐れがあります。それはエゴが一番喜ぶ人生になってしまいます。
それは決して真の幸せへの道を歩いているとは言えません。幸せへの道はそれとは全く反対の生き方なのです。人生の中で自分が達成してきてしまったことを、何の意味もなかったとして手放すことです。
達成してきたと思っていることに執着して、そこを自分の軸とし、頼りにし、誇りにしてそれを繰り返しても結局それだけの人生になってしまいます。
真の達成は形として表現され得ないものです。そしてそれは達成するというよりも、ただ大切なことに気付いていくという作業の繰り返しなのです。
何かを得る必要はありません。自分はすべてを持っていると気付くことができれば、何かを手に入れることに何の意味もないと分かるのです。
そうした中で感じられる何ともいえない感慨深さは、通常の達成感のような永続性のないものとは違って、継続して感じられるもっと奥深い心からの安堵感や、自分は完全だという愛の感覚になっていくのだろうと思います。
自分は人に誇れるようなことは何一つとして成し遂げてないと自分を否定する必要は全くありません。そういう人の方がこの世界で沢山達成してしまった人より断然有利です。
なぜなら、手放さねばならないことがそれだけ少なくて済むからです。癒しの作業とは、身に着けてしまったもの、手に入れてしまったものを全部手放していく作業だと覚えておくことです。