人の目

毎日の何気ない生活の中で、自分が一番気になるものと言えば、それは人の目ではないでしょうか?道を歩いているときの自分、電車に乗っているときの自分、職場で仕事をしている時、休み時間に食事をしている時、ありとあらゆる場面で自分は人の目に晒されています。

部屋で一人のんびりとした時間を過ごしている時を除いて、ほとんどすべての時間必ず誰かの目で自分を見られているという環境にいますね。

人にどう見られているかなんて、全く気にもならないよ、と豪語している人もいるかもしれませんが、それはきっと少数派だろうと思います。

今日どんな服装で出掛けようか、どのようなヘアスタイルがいいのか、そういったことは自分のためでもあるでしょうけれど、やはり一番は人からどのように見られるかということがベースにあってのオシャレなんだと思います。

そのようにとても気になる人の目ですが、それは自分が他人の目にはどのように映っているのか、どう評価されているのかということなので、それが気になるということですね。

そして大抵の場合、自分が自分を評価する基準があるのですが、それと同じ基準によって他人も自分を評価するはずだとの強い思い込みがあるのです。

本当は、他人は自分には想像できないくらいに自分と違う評価基準を持っているかもしれないのですが、そういったことは真面目には考えないのが普通です。

したがって、もしも自分に対する自分の評価が高い場合には、それと同じような評価をされると想定しますので、それほど人の目を気にすることはないのです。

しかし、逆に自己評価が非常に低い場合には、他人も自分のことをそのように低く評価するはずだとの思い込みがあるので、否定的な意味合いで人の目がとても気になってしまうのです。

そうなると、いつも人の目、人からの評価を気にするあまり、自由な自己表現ができなくなってしまったり、気づかぬうちにいやなことをやり続けたりして、自己犠牲を強いる結果となってしまいます。

人の目が気になりすぎて、とても生き辛いような状態になってしまった場合には、自分と人の評価基準は同じであることのほうがまれなんだとの認識をはっきりとすることです。

そして、人は自分が気にするほどに自分のことを見てはいないという事実をしっかり自覚することです。その上で、自己評価が低い理由を見つめてその部分を認めてあげることです。

これも一種の許しの作業ですね。どんな自分も裁く必要はないとして、許して認めることができたら、もう全く人の目など気にしなくなって、本当に気持ちのいい晴れ晴れとした毎日を送ることができるようになるはずです。