裁くことと防衛とは密接な関係があります。つまり、相手を裁きたくないと思っていても、つい裁いてしまう時というのは、大抵自分を守ろうとする意識が働いているということです。
今までにたくさんのクライアントさんとのセッションで、さまざまなお話しを聞かせていただいてきたのですが、どんな内容の事柄を聞かされても、その話しにでてきた誰のことも裁くことはありませんでした。
それはあるがままを聞くことができるというか、その話しの中に悪者はどこにもいないというのが常にありました。クライアントさんによっては、あまりに私が中立な態度なので、その事に気分を害する人もいらっしゃったほどです。
人のどんなひどい仕打ちや復讐劇、イジメ、不正などの悪事の数々を聞いてもその事を責めたり裁いたりすることはありませんでした。
なぜかといえば、そういった話しをいくら聞いても自分自身の身を守る必要がなかったからなのです。自分に被害が及ばなければ、裁く必要が発生しないのです。
政治家の贈収賄などが取りざたされても、そのことで自分の人生に影響がなければ私はそのことを裁くことはないのです。これって、もしかしたら究極のエゴなのかもしれないと思うこともあります。
だとしても、とにかく私の場合は自分に直接の影響が及んでこないようなことについては、誰が何をしようと全く裁くということをしないでいられるのです。これはいい悪いは別にして、とても楽な生き方かもしれません。
ただ問題は、逆に少しでも直接の影響が自分に及んでくる場合には、どうしても裁くという結果になってしまいます。自分を被害者にしようとする相手を加害者として罰しようとするわけです。
したがって、裁かないように訓練するためには、自分が被害に遭ってはいないという意識になることが最も効果があるということになります。
つまり、いつも言い続けてきていること、「自分の身に起こることは自分が投影として起こしている」というこのことをはっきり思い出すことさえできれば、被害者ではない自分を見つけることができるので、裁かないという心の状態でいられるということです。
それはとてもすがすがしい気持ちでいられる究極の生き方と言えるかもしれません。