久しぶりに本を読みました。その本を読んでいて、とても気づいたことがあります。それは、今自分が見たり聞いたりしているものは、一つ残らず全部自分に与えられているということ。
それはすぐに感謝の気持ちと一体になりました。部屋にいて、本を読んでいるときにはそれほどの実感はなかったものの、夜クルマに乗っているときにそれはやってきました。
今自分が見ているさまざまな人や道路や街並みやその他あらゆるものが、自分に提供されているという思いです。
与えてくれているのも実は深いところの自分なのだとわかったのですが、そんなことよりも与えてもらっていることがただ嬉しくてありがたくて感動しました。
だからといって、いつものごく普通の自分がいなくなってしまったわけではなく、ひょっこり飛び出してきそうな若者がいれば、腹も立つのです。
狭い道路の路肩に駐停車しているクルマがあれば、もちろん迷惑だなとも感じるのは普段の自分の感覚と何も違いはないのです。
でも、自分がいい気持ちであろうが、いやな気持ちであろうが、そのことと与えてもらえてることの感謝とは別のことだというのが分かったのです。
どっちの自分に意識を合わせるかで、いつもの自分が優勢になったり、大きな感謝に圧倒されたり、選択することもできるのです。
もちろん、こんな嬉しい体験は記憶の限り初めてなので、感謝の方をずっと選んでいたのは言うまでもありませんが。
数年前に瞑想中に感謝の嵐の中に放り込まれたようになったことはあったのですが、今日体験したことはごく普通の精神状態のままでしたので、それがとても自分としては驚きなのです。
そして感謝のほうに意識を向けていると、いつも見ている夜の景色がより一層キラキラとした輝きをもって新鮮に目に映ったのです。
この驚きを是非みなさんにも体験してもらいたいと思います。何の努力もがんばりもいりません。すでに体験している人がいらしたら、是非それを分かち合いたいと思います。
たぶんごく簡単なきっかけさえあれば、きっとそれはやってきます。心の癒しというのは、そういうものなんだと初めて気づいたかもしれません。