感覚の喪失

以前にもこのブログかホームページのコラムだったかに書いたことがあったと思うのですが、自分は気がついたら外の世界とのダイレクト感を喪失していたのです。

それがいつの頃からなのかはかなり曖昧なのですが、小学生くらいだったように記憶しています。ただし、それも一瞬にしてそうなったのではないと思うのです。

少しずつ、日々生きていく間に病気が進行していくかのように、それが強くなって行き、自覚としてはあるときとうとうなんだかモヤがかかっているような感覚にまでなったということだと思っています。

それはまるで、透明の着ぐるみか鎧でも着せられてしまったかのようなモワッとした感じとでも言うのか、とにかく気持ち悪いには違いないのです。

しかし、そのいやな感覚、自分の皮膚に直接外の世界が触れていないかのような感じになぜなってしまったのかは長い間分かりませんでした。

ところが今何となくその理由が分かったような気がしています。それは、「見る自分」から「見られる自分」に変身してしまったからだと思うのです。

生まれたばかりの赤ちゃんは、ただ興味深げに外の世界を見ているだけです。ということは、そこに見ている自分というものを意識していないのです。

だからただ無邪気に周りを見ているだけなのです。ところが、1年2年経っていくうちに外を見ている自分というものを意識しだすのです。

それこそが「見られる自分」の出現なのです。この「見られる自分」というのは作り物であり、生まれた時のままの「見る自分」というのが本当の自分なのです。

そこから対立というものが発生してくることになり、それは地獄のようにつらい状態なので何とか防衛しようとして、透明の鎧を着ることになったのだと思います。

それこそがダイレクト感の喪失なのではないかと思うのです。この感覚の喪失は、はっきり分かっているだけでも視覚、聴覚、触覚のそれぞれに及びます。

この感覚を元に戻すことができたら、どんなにすがすがしい気持ちになるのだろうかと思わずにいられません。

でもそのためには、「見られる自分」というものが捏造された自分像だということにはっきりと気づく必要があるのです。

もしも、同じような感覚を持っているという自覚のある方がいらっしゃいましたら、希望を捨てないことです。きっとやり方があるはずです。

そして、その感覚を取り戻すための練習が実は本当の自分を思い出すことに繋がるはずだとの確信を持っています。これを人生の目標にしてもいいと思っています。