視野の広がり

人は誰でも自分が信じていることを正しいと思いたいはずですし、実際に思ってもいます。そういうものがその人の生きるうえでの礎(いしずえ)となっているのですから。

自分があることに対して、何が正しいことなのか分からないということはいくらでもありますが、しかし正しいと思っていることを信じないでいることはできません。

誰に何を言われても、自分の信じること、自分がこれが正しいことなのだと思っていることを曲げない人がいますね。悪く言えば頑固者ですし、よく言えば優柔不断ではないはっきりとしたものを持っているということになるわけです。

人をどちらかのタイプに分けるとすると、正直申せば私はかなり優柔不断であると告白せねばなりません。

特に若いときには、誰かがこれが正しいと言えば、なるほどそうかもしれないと思い、別の人が別の物事を正しいと言っていれば、今度はそれが正しいと思ってしまうということが多々あったからです。

自分でも、何でこんなに固定した考え方をすることができないのか不思議でした。例えば、神を信じるかと聞かれても、あるときにはいるかもしれないと思い、またしばらく時が流れると神など信じないということもありました。

それが年齢を重ねるごとに、少しずつ「変わらないもの」が自分の中に出来てきた感じがします。それでも、このまま死ぬまで考えが変わらないだろうとは全く思えないのです。

それよりも、あることを正しいはずだと信じていたとしても、いろいろな経験や気づきなどによってそれまでよりも大きな視野で見ることができるようになった時に、違った見方ができるようになるということが沢山ありました。

それは正しいと信じていたことが間違っていたということではなくて、その範囲では相変わらず正しいと分かると同時に、もっと広い視野で見たときに場合によっては正しくなくなるということがあると分かったのです。

最近そうしたことが急激に増えているような気がしています。こうしたことが今後も続くのであれば、今まで以上にこれが正しいなどと太鼓判を押すことはできなくなります。

でも逆に言えば、実は自分がどうなるのかとても楽しみでもあるのです。今までまったく気づけなかったことに気づくことができるとしたら、それは本当に楽しみです。

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