やや面倒な自分を発見

最近、というかもうかなりの期間と言ってもいいと思うのですが、あれほど大好きだったテレビをあまり見ることがなくなってしまいました。

3.11の直後はかなりニュースに釘付けにはなっていたものの、内容があまりにひど過ぎることが分かってからは、それもほとんど見ることがなくなったのです。

たまたま昨晩、ずっとファンだったあるお笑い番組をまたやるということを知って、数日前からとても楽しみにしていたのです。

急いで用を終わらせて、準備万端整ったところでその番組を見たのですが、どうも以前のようには大笑いすることができなくなっていることに気づきました。

ネタがつまらないということではないと思いますし、確かに番組の途中ではゲラゲラ笑い転げたりもしていたのですが、何かが以前とは違っているのです。

それは、自分の中の何かが変わってしまったというのが本当のところなのかもしれないと気づきました。お笑いは今でも大好きなのですが、それだけでは物足りなさを感じてしまうのです。

以前ならお笑いだけで生きていける、というくらいに思っていたものが、それだけでは不満を感じている自分が確かにいるということに気づいたのです。

自分が楽しい時間を過ごすというのは大切なことです。リラックスできる、快適な時間を持つこともとても大事なことですね。でもそれだけでは、満たされないということです。

少し面倒なことになってきたという感じもしないではないのですが、でもそればかりではなくて、もっともっとある意味貪欲に自分の気持ちが自然と向く方向を見てみようと思うのです。

それは、今までの自分の人生にはあまりなかった不慣れなことなのかもしれないですが、それでも少しずつそちらの方向に向かっていっているような気がします。

力まず、自然体でいて、それでも心のどこかが熱くなれるような、そんなことを探し始めているような予感がしています。

どうなろうとも、そろそろ放射能もそれほど怖い年齢でもなくなっているので、これからの人生は思い切り何かのために生きれたらいいなと思うのです。

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