私たちはいつも真理を捜し求めています。この真理を時として正しさと勘違いしてしまうこともありますが、それでも究極のところでは真理を探究しようとするのです。
それは意識せずとも、自分の人生やこの世界、社会全体の中に真理を見出してはいないということをどこかで悟っているからだと思います。
この世界においては、何か物質的なものを欲して、それを求めた結果、それを手に入れることは不可能ではありません。
お金にしても家にしても、それなりに努力することによって願望を達成することもできます。ところが、真理だけは違います。
真理を捜し求めて、それを手に入れられるかと聞かれたら、それは不可能だと答えることしかできないのです。それはとても簡単な道理です。
なぜなら、求めているのは私たちの心であり、思考であるわけですが、それ自体が真理の中にはないからです。もしもそれが真理の一員であるなら、真理を求めるはずがありません。
真理ではないとどこかで察知しているからこそ、真理を捜し求めてしまうのです。従って、真理でない心が求める真理を手に入れることはできません。真理でないものが、真理になることはないからです。
実はとても逆説的なことなのですが、真理を捜し求めることをやめたときにこそ、真理を見出すことができるということです。
真理を求めること自体が真理から遠ざかってしまうということを言っているのです。求めることを諦めたとき、その心を手放すことができたときに、そこに真理があったと気づくはずなのです。
求めることを手放したときに、それまで求めていたものが向こうからやってくるというのは、何とも皮肉なことですね。でもこのことは、自分の意志の力で寝ようとしても寝られないということと同じです。
寝付くときというのは、寝るということを求める思いを手放すことができたとき、それが自然とやってくるのです。真理もそれと同じだと思えばいいのです。
私たちは求めることをやめたとき、あらゆるものをすでに持っていたことに気づくということです。確かに皮肉なことではありますが、求めなければ救われるということはどれだけ幸運なことでしょうか。