精神的に揺さぶられるようなことが起きると、すぐに本質の自己のことを忘れてしまうということを昨日書きました。忘れないにしても、すごく薄れていく感じがします。
私の場合には、身体の不調にとても鋭敏に反応するようで、外側で起こっている事態にはそれほど影響されないかもしれません。勿論、もっと大きな何かがやってくれば別でしょうけれど…。
身体が不調だったり、苦しかったりすると、本質は見ているのだけれどお前は大して役に立たないなといって、本質を軽蔑したりもするのです。
だって、自分の本質があらゆることの源泉であるなら、こんないやな身体の状態を速やかに変えてくれてもいいだろうと思うからです。
けれども、何度かは追い詰められた状態において、本質の自己を信頼して委ねるような気持ちになったことがありました。偶然かもしれませんが、それからほどなくして身体の苦しみは緩和されたのです。
私たちは苦しんでいるときには、一分一秒でも待てないという切羽詰まった状態になります。だから、すぐに結果が出なければ信頼することをやめてしまうのです。
それが、エゴの特性でもありますね。それでも、かなりきわどく追い詰められると自分の中で何かが発動して、信頼が戻ってくるということが起きるのです。
きっと戦いをやめて、観念した状態になったときなのでしょうね。戦わなくなると、文字通り敵がいなくなる状態、つまり無敵の状態になれるのです。
それは無防備な心になることであって、その時ばかりは過去で充満していた心も一瞬のうちに現在へと蘇ってくれるのです。そこに真実が近づいてきてくれるのです。
真実には、人を癒す力が備わっているようで、希望を叶えてくれるというよりはごく自然に物事の歪みを正してくれるのだろうと感じます。
そこまで追い詰められずとも、自分の本質に信頼をおけるようになれるといいですね。