いつもセッションでお話ししていることですが、人間の赤ちゃんはほかの動物と同じように、自我(という思考)がない状態で産まれてきます。
人間以外のどの動物も、自我が育たないままにその一生を終えるのですが、どういうわけか人間だけが2~3歳ころまでには、自我が芽生えてくるのです。
自我というのは、ひとりでに出来上がるものではなく、周りにいる大人たちから何度も何度も教えてもらううちに、気が付いたときには自分がここにいるという自覚ができるのです。
だからこそ、赤ちゃんのうちに山に捨てられて、偶然にオオカミに育てられた子は、人間の大人からの教えを受けないために、自我は育ちません。
幸か不幸かわかりませんが、とにかく人間だけが幼いうちに自我が発生し、それが原因となって様々な苦しみの中に放り込まれることになるのです。
そして、本人も自我も成長して大人になったあかつきには、いつか本質の自己に気づくときがやってきます。それがいつになるのかは、誰も知りませんが…。
そのときに、自分という自覚、つまり自我とは、単なる思考であって本当は人物としての自分などいないのだと気づくことになるのです。つまり、自我のなかった赤ちゃんのころに戻るのです。
だったら、なぜ赤ちゃんのままでずっといられなかったのか、赤ちゃんのまま自我が現れなければ、他の動物のように一生無邪気でいられたはずなのに、と思いませんか?
けれども、一度自我が生まれて、それからそれは本物ではないと気づくことがどうしても必要なのです。私たちは赤ちゃんのままでは気づくことができないのです。
赤ちゃんは確かに無防備ですが、本質の自己への気づきがありません。それはあまりにも曖昧な意識であり、他の動物や植物などと同じように、そのままでは気づけないのです。
自我を経由してはじめて、私たちは自分の本質への目覚めを経験することができるのです。自我が発生したことによる苦痛の代償はあまりにも大きいですが、代わりに気づきという目的を果たすことができるということですね。