考えても仕方ないようなことを、それと分かっていながら考えてしまったり、心配しても仕方ないようなことをずっと心配してしまうことってありますよね。
そんなときに、瞑想しようと思ってもいつものようには、すんなりと入っていけないものです。これって、し慣れていない人が初めて瞑想をするとき、きっとこんな感じなんだろうと思うのです。
時々、死んだ後のことまで心配している人のことを見聞きします。ある程度は分かるのですが、これも限度問題ですね。
ただし、例えば幼い子供たちを残して親が死にゆくような場合には、誰だって自分が死んだ後子供たちはどうやって生きていくだろうと考えてしまうのは当然です。
そんな究極の場合であっても、実は思考の外にいることを日常的に知っているなら、それが多いに役立つはずなのです。
私たちはあまりにも思考漬けなのです。思考が自分になってしまっているとも言えるくらい、甚だしく思考にどっぷり浸かっているのです。
思考のない状態に寛いでいられるなら、そこにはどんな心配事もないし、死すら存在することができないということにも行きつくのです。
肉体の死は起きるのですが、思考のないところでは自己の死はあり得ないのです。どうすれば、意識が死ぬなどということができるでしょうか?不可能です。