世の中には、物凄く怖がりの人もいるし、その反対に人から命知らずと言われるようなことを平気でする人もいますね。人によって、恐怖感の大きさにはそれほどに違いがあるのです。
私は間違いなく怖がりの部類に入るのですが…。生というものは、本来危険なものですね。明日はどうなるのか、何の保証もないままに生きていかねばならないのですから。
恐怖からできる限り遠のいて生きていこうとすれば、活躍の幅は小さくなってしまうのは当然のこと。安心できることにしか、触手が動かないのですから。
その一方で、勇気のある人は恐怖を感じながらも、そこから逃げずに向かっていくことができるのです。それは決して恐怖をあまり感じないということではないはず。
恐怖を感じつつ、それでも安心を求めずに勇敢に向かって行くということです。だからといって、無謀なことをわざわざするという意味では勿論ありません。
勇気が必要なのは、この社会で生きていくためだけではなく、セッションでやっているような心の癒しについても同じことが言えるのです。
癒しには、どうしても勇気が必要です。なぜなら、自分が最も見たくない、逃げ続けてきた都合の悪い自分と対峙しなければならないからです。
「惨めな自分」をできるだけ真正面から受け止めることができるなら、その勇気を持ってマインドの奥底に光を当てるなら、必ずや身体も気持ちも軽やかになるのです。
なぜなら、隠し続けねばならなかった重荷、自分を騙し続けてきた疲労から解放されてしまうのですから。日頃勇気をどれだけ使っているのか、一度自分を点検してみるのもいいかもしれませんね。