自我か真の自己か

人間というのはちょうど玉ネギのようなものだ。幾重もの思考や感覚をむいてゆけば、最後には何があるだろう?

無だ。この無にはどんな支えもいらない。この無はひとり立ちして存在する。

だから仏陀は言う。神はない。神の必要はない、と。

by osho

私たちが生きているこの宇宙には、中心というものがありません。これは観測の結果導き出された事実です。

空間に中心がないというのは、自我としては何とも不気味というか承諾しかねるところがあるのですが、仕方ありませんね。

中心という概念は、有限の世界でのみ意味を持つものなので、無限の宇宙にはそぐわないのです。

そして私たちは、自分という個人は有限の存在だということを知っているので、やはり自分の中心となる何かがあると感じているのです。

けれども、自分の内側をどれほど探求して見回し尽くしたとしても、どこにも自分の中心など見つけることはできないし、そもそも自分を見つけることすらできません。

受け入れがたいことですが、それが誰でも体験する真実なのです。中心がないのは、自分の本質は有限ではないからですね。

自我という思考には、無限ということを真に理解することができません。だから、自我にとって自分の本質を知ることは不可能なこと。

つまり、自我が生を生きるのか、真の自己が生を生きるのか、そのどちらかでしかないということですね。