「必要とされる」って醜悪

貨幣経済、対価経済の最も醜悪なところとは、「自分を必要としてもらわねばならない」という点なのです。

そりゃそうですよね。対価を求め合うわけですから、対価を要求するためには相手から自分にまつわる何らかのものを必要としてもらわねばなりません。

自分も相手に対価を支払うのは、相手の能力や成果物などを入手できた時なのです。これは取引なのですから。

他人から必要とされることの何が悪いの?と思うかもしれませんが、それは非常に醜悪なことなのです。

なぜなら、必要とするということの中には一ミリも純粋な愛が含まれていないからです。愛は与えるものだからです。

必要とするということは、「ちょうだい」と言うことです。「ちょうだい」という形式の愛はまがいものです。

互いに「ちょうだい」をやり合えば、それは当然のこと争いが起きて、それが拡大して民族間や国家間での戦争へと進んでいくのです。

だから、戦争をやめさせたいのであれば、「人は必要とされてなんぼ」という信念をドブに捨てるしかありません。

そのことに私たち一人ひとりが深く気づくことでしか、戦争は無くならないのです。そして、その気づきが私たちの集合意識レベルとなったら、対価経済も消えていくことになるはずです。

そうなったら、人に必要とされているかどうかなどはどうでも良くなり、本当に楽しく清々しい気持ちで生きていけるようになると思いますね。

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