土台無くしては存在できない

どんなものであれ、土台というのが必要であると言うのは当然のことですね。家を建てる時の土台の大切さは誰もが知っている通りです。

演劇を行う時の土台は舞台なわけですし、地球の土台は何でしょう?太陽ですかね。土台というのは、それがなければ成立しない基礎のことです。

そういう意味では、私たちは宇宙がなければ存在できないし、太陽がなければ、地球がなければ、空気が無ければ存在できません。

つまりたくさんの土台に囲まれて生きているのですが、ここで環境というよりは自分自身の中の土台って何だろうと考えてみると。

まず初めに思いつくのは、もちろん肉体ですね。肉体によって、この地球上で生活ができるわけですから。

それから、目には見えないのですがマインド。マインドによって、自分が誰かを理解したり考えたりするわけです。

けれども、心を静かにしてよ〜く見つめてみると、普段は気づくことがないのですが、明らかにこれが土台だというものに気づくことができます。

それは、自分がどれほど感情的になろうと、痛みに顔が歪もうと、焦ったり喜んだりしても、そうしたことには一切関係のないものがあると分かります。

それこそが私たちの土台、それが意識なのだろうなと。意識的であることを続けていると、その土台にはっきりと気づくようになるのです。

意識と言ってもいいし、空と呼んでもいいし、背景といってもいいし、何と表現しようがそれこそが私たちの本質ということです。

ということは、自我というのはその本質、土台の上で踊らされている小さな仮そめの仮想の存在ということになりそうですね。