私たち一人ひとりは、上位次元の何かの一側面でしかない

以前ブログに書いたのか、動画で話したのかは忘れたのですが、円柱という形のものを2次元で捉えると、様々な形となって現れると。

つまり、次元が低くなると高次元のものをそのままに捉えることができなくなり、いろいろな形に見えてしまうということ。

仮に円柱を光の面を通過させるとイメージしてください。縦方向に真っ直ぐ通過させると、通過している間その光の面上にずっと円が現れ続け、そして消えるわけです。

また横から通過させると、初めに円柱の高さと同じ長さの直線が現れて、次第にそれが細長い長方形から円柱の直径と同じ幅の長方形を経由して、最後に直線になって消えていくのです。

そしてさらに言えば、円柱をその光の面に向かってランダムに放り投げた場合には、それこそ無数の形へと変化をして消えていくことになるのです。

2次元の人から見たら、この無限に変化する形が3次元ではたった一つの円柱によって作られるなんて、想像することもできないわけです。

これと同じことが私たちが暮らしているこの3次元(あるいは4次元)の空間でも起きているのではないかと。

どういうことかというと、より上位の次元、例えば5次元に存在する単一の何かが、われわれの次元では無数の存在として見えるのではないか。

人間を見た時に、地球上には80億人ほどの人々が暮らしていますが、各々の人というのは単に高次元の何かの一側面なのではないか、とみることができます。

この感覚が明確になってくるなら、上位次元では全ては一つということになり、それこそが純粋な愛ということになるのでしょう。

あなたも私も、全ての人が互いに異なるバラバラな存在として捉えていますが、上位次元のたったひとつの何かの表れでしかないということですね。