osho がまた瞑想について、分かりやすい比喩を用いて教えてくれています。
『瞑想は泳ぐのとは違う。浮かぶのに似ている。ただ川の中に横たわり浮かぶ人のようだ。手を動かすこともなければ、流れにも逆らわない。彼が静かに横たわっていると、流れが彼を運んでいく。彼はいかなる努力もしない。ただ浮かんでいる。』
生まれて初めて、あ、泳げるようになった!と思えた瞬間を覚えているのですが、それはどこかの川でしたね。
目を開けられないままに、ただ水中で平泳ぎの真似事のようなことをしただけですが、とにかく自分の足が浮いた状態でしばらくいられたわけです。
今思えば、お世辞でも泳げたとは言えないのですが、当時の自分としては泳げたと感じたわけです。
その後、顔を水から出したままのニセ平泳ぎができるようになって、そのだいぶ後になってクロールもできるようになったのです。
私の記憶では、水面に仰向けになってプカプカ浮いていられるようになったのは、その後だったと思います。
つまり、酷い自己流で泳ぐよりも、ただプカプカ身体を水平にして浮いていることの方が難しかったということです。
自我にとっては、身体を使って泳ぐことよりも、何もせずにプカプカ浮いていることの方が苦手なのでしょうね。
だから、自我は瞑想も苦手なわけです。どんな努力もせずに、ただ流れのままに浮かんでいるだけでは、面白くもないし自分を活躍させてあげることもできないから。
それが私たち自我の正直な性分なのですね。
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