内側も外側もない

日頃からいつも外側で起きていることばかりに心を奪われているのではなく、内側に目を向けてくださいと言ってきたのです。

そのことが間違いでしたというのではないのです。その話しとは少し次元の違う視点で見直してみると、内側も外側もないという理解がやってくると言うお話しです。

というのも、内側と外側という分離は何を基準にしているのかと言えば、当然ですが自分の肉体なわけです。

肉体の内側を内側としてみて、肉体の外側を外側の世界としてみるという、当たり前のことなのですが、けれども自分の本質と肉体とは全く別物。

それが分かった時に、自分の本質からすれば内側と外側という区分けなど存在しないと分かるということです。

自己の本質が、純粋な意識であって、空間のようなものだとするなら、やはり内も外もないと分かるのです。

敢えて表現するとしたら、あらゆる一切合切が自己の内側にあるという言い方もできるかも知れません。

けれども、それも本当には正確さを欠いています。真実には、そうした概念などないからです。どんな言葉もどんな表現も当てはまらない。

ただ沈黙して全てを受け入れるしかありませんね。真実には疑問を感じる余地すらないということに気づけばいいのですから。