謎にひれ伏す自由

あまりテレビは観ないのですが、たまに観るクイズ番組は結構楽しんで観ることができますね。特に、知識を競うようなものではなくて、ナゾナゾのようなものが好みです。

なぜそういうものが好きなのかなと言えば、きっと分からないことを解明することに快感を感じる習性があるのだろうと。

私だけでなく、これは人間全般に言えることだと思います。思考を受け持つ左脳というのは、何かを理解しようとする仕組みで動いている感じがします。

もちろん個人差はあって、何か分からないことがあっても、よく分からないけれどそういうものなんだろうで済ませる人もいます。

私はその真逆の人間なので、とにかく分からないことをそのままにしておくのが苦手なのです。ただし、興味のわかないものについては、完全に放置しています。

興味のあるこの世界、この宇宙の仕組みとか、自我についても色々理解を深めることにとても魅力を感じるのです。

それを仕事にしているのでとてもありがたいのですが、最近ずっと探求してきたことが、大きな曲がり角に来てしまった感じがしていて。

今度ばかりはどのように探求しようとしても、そうすればするほど得たい気づきから遠のくような感じがしているのです。

もう謎が謎すぎてお手上げ状態なのです。このまま探求を進めていったところで、先は見えているというか。

それでふと気づいたことがあるのですが、これまでの理解しようとする生き方から離れて、謎を謎としてそれを受容してしまおうと。

謎に対して観念するのです。謎に平伏してもうお手上げですとやってしまう。そうイメージしたら、何だか逆に清々しいような気持ちになれて。

ああこういう生き方もあるんだなと。謎と戦わないでいることの自由を初めて感じたような気がしています。という個人的なよもやま話でした。