探求者の嘆きかな

久しぶりにoshoの言葉を聞いてみましょう。

『探求者が消え失せてしまったとき
そのときはじめて目標は達せられたと言える
体験者がいなくなってはじめて
その体験があり得るのだ
求めてごらん
あなたはそれを失うだろう
その探求を通じて探求者が強められてしまうからだ
求めないこと
そうすればそれは見つかるだろう』

この言葉、実はずっと以前から知ってはいたのですが、本気になって読んだことはなかったのかもしれません。

なぜなら、これまでずっと探求を終わらせるつもりが全くなかったからです。探求は自我を強めることは、よくわかっていました。

それでもそれは一時的なことであって、それを知りつつも探求をせざるを得ないのが人間なんだと思っていたのです。

今でもまだ探求が完全に消えてしまったわけではないのですが、このoshoの言葉が突き刺さりますね。

探求者が一番自我を強化してしまうのです。探求者の自我は完全な状態で守られるからです。それも見事な方法で。

だって自我ベースの考え方が染み付いた状態での探求なので、決してやめられないのです。ただそれでも、ちょっと気づいてしまったのです。

だから今少しだけ困った中途半端な感じになっているのでしょうね。これからも、思考に頼らず、思考に答えをもらおうとせずにいる。

長年の習慣をやめていくことは、なかなか難しいものですね。