「体験」にモノはいらない

最近「実体」という概念について、思いを巡らすことが増えてきた感じがしています。自分の中の誰かが、実体があるということで生きてきたのに、実体がないことが判明してしまったのが辛いのでしょうね。

「実体」という言葉は「モノ」という言葉とほぼ同義語ではないかと思うのです。なぜなら、普通に考えて実体がないモノなどないからです。

夢の中とか、イメージや妄想で現れるモノの時だけは実体がないという表現ができますけれど、この現実の中ではあり得ないと信じていますね。

ところが、私たちの日々のこの現実の中で起きるあらゆる体験では、実はモノの実体はないのです。言い換えれば、モノは存在しないのです。

モノはなくても、体験はできるのです。正確に表現すれば、モノはなくても体験は起きるということです。

そしてもう少し違う表現をすれば、体験自体はモノの存在、モノの実体というものを必要としないということ。

この世界にモノが充満しているからこそ体験が起きると考えがちですが、そうではなかったということですね。

体験、あるいは起きることの方を主軸にして見ればいいのです。そのようにして見方を変えてしまえば、まあそんなものかと。

モノがないということは、この宇宙も地球も誰もいないままに、体験、もしくはこれだけがあるということですね。