不思議な一日

今日はホントに不思議な目に繰り返し遭遇するという変な日でした。二度あることは三度あるどころか、もっとありました。

いつもと同じ時間に家を出たのに、スポーツクラブに10分以上も遅刻してしまったのです。滅多にないことですね。

皮切りは、普段ガラガラな道路で不当な渋滞に巻き込まれてしまったこと。でもこれは5年に一度くらいはあってもいいかなと。

その後、工事のトラックが狭い道路に停めてあって、交通整理をするお姉さんがいるのですが、まったく用を成さず。

うまく説明はできませんが、行く手を阻まれたこちら側の車線が、ちょっと危険な状態になってしまうという結構まずい事態。

仕方ないので、車の中からそのお姉さんに指示を出してなんとかそこを切り抜けて、ようやく目的地のゲートのところまで来たのです。

すると、そのゲートのところでなにやら切り返し?をしようとしている車がいて。クラクションを鳴らすと、バックでそのゲートを通過しようとしている。えっ?

バックでゲートをくぐってなにするつもりなんだろうと思ってみていると、今度はそのまま前進して反対方向に向かって進んでいってしまったのです。

こちらとしてはなにが行われていたのか、まったく理解不能で茫然自失。そして今度は自宅へ戻った時のこと。

車庫のゲートを開いていると、子犬を三匹連れた散歩の女性がやってきたのですが、そのうちの一匹が歩きながら3つほどフンを落としていったのです。

自宅の真ん前で。これから車を車庫入れしようとしているときに。こんなことって人生で初めての経験。

チョット〜と慌てて声をかけて、無事処理をしてもらったのですが、今度は母親の老人ホームに面会に行く時間になって。

2階の住人に行くよ〜と声をかけても返事がないので、見にいったらどこへ行くの?と。完全に忘れていたようで。

これも今までになかったことです。変な日。実はここに書ききれない小さくて嫌な感じの出来事が他にもいくつかあったのです。

過ぎてしまえば、どうっていうこともないので、早々に忘れてしまおうと思っているところです。

“不思議な一日” への3件の返信

  1. 自我が揺さぶりかけているってことですか。

    ところでちょっとお聞きします。
    非二元や、何もない…の理解は、癒しの助けとなりますか。(助けとかそうゆう次元のものではない…とかいわれそうですが)
    また、その気づきで変化はありますか。

  2. そうなんです、自我が揺さぶりをかけてきてると言いたいところですが、もう言えなくなってしまいました。

    非二元の気づきは、癒しの助けになるか?きっとなりません。起きた変化は、これまでの探求ができなくなったことですね。それと、ちょっと具合が悪い感じがしていますが、これのせいかどうかは不明です。ものすごく精神状態が悪くて、追い詰められているような場合に、この世界にはなにもなかったというのは、少し救いにはなるかなと思う程度です。私自身、まだ気づきの途中のような感じがするので、また本当のところは分かっていません。

  3. たしかに、何も無いことがすくいになる、こともある…。

    具合が悪いところ、返信ありがとうごさいました。
    お大事になさってください。

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