体験だけがあるって、夢と同じ?

人にもよると思うのですが、普段あまり表面には上がってこないものの、頭のどこかで自分はこの広大な宇宙のどこかで暮らしていると思っています。

無限に広い宇宙の中にある天の川銀河の中にある太陽系の惑星の一つである地球の片隅で、砂つぶよりももっと小さな1人の存在として生きているんだと。

そう信じて疑っていなかったはずなのに、最近実体はないということに気づいてしまったので、この宇宙という実体もないんだなあと。

空間や距離というのも概念だし、大きさという実体もないとなると完全に理解が崩壊してしまうかもしれません。

でもふと思うのですが、実体があると思われる宇宙よりも、実体がないほうが自然な感じがしないですかね?

だって実体があるって相当大変なことですよ、実体がないシンプルさと比べたら。そして、実体がないにも関わらず、体験だけがあるわけです。

そんなバカなと感じてしまうのも無理はないのですが、ただ睡眠中にみる夢というのもそういう意味では同じですよね。

完全に心が作りだした空想の世界の中で、体験は起きていて、そのためにあらゆる感情が湧き起こったり、景色の素晴らしさに感動したりするのですから。

ただし、この現実が夢だと言いたいわけではありません。なぜなら、夢から覚めて実体のある現実に戻れるというのが、この現実に関しては起こらないからです。

誰もいないし、なにもないのにこうして体験だけがあるのですから、どれだけ不可思議なことなのかまったく理解不能ですね。

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