よく使われる表現として、「まるで〜のように見える」というのがありますね。たとえば、「2人はまるで兄弟のように見える」とか。
こういう場合には、必ず「でも本当は他人だけど」などの意味が隠れています。あるいは、「遠くから見たら、まるで豆粒のように見えた」とか。
本当の大きさは◯◯だけどね、というのが続いたりするわけです。遠くにいる人は小さく見えるけど、近づいてくれば本来の大きさに見える、など。
本当はその人の大きさは変化しないんだけどね、というのが当然のこととして共有している事実なわけです。
けれども、非二元的には「まるで〜のように見える」で終わるんです。その裏には、どんな意味も含まれないのです。
「本当は◯◯」、というのがありません。どう見えているかがすべてだからです。モノという実体がないので、本当は…のような続きがないのです。
しかも、「まるで〜のように見える」と感じている主体もありません。なぜなら、主体というモノの実体もないからです。
誰かがそのように感じているのではなく、ただそうした感じがあるのです。非常にシンプルな世界ですね。