目の前にある様々なものを見ている時、私たちは絶えずそのもののこちら側の部分だけを見ているというつもりになっています。
このことに気づいているでしょうか?たとえば、人と対面している時には、その人の後頭部や背中を見ることはできません。
けれども、100%当然のようにその人の頭の後ろには後頭部があって、背中があって、というのを勝手に想定しているのです。
冷静に考えてみれば、目の前にいる人の体のうち、見えている部分はほんの一部でしかないということになるのです。
もっと言えば、その人の身体の内側なんて丸切り見えないわけです。内臓や筋肉や骨や脳味噌など、全部見えないけれど、間違いなくあると信じています。
このようにして、私たちは実際に見えていると感じていること以外に、たくさんの想定をしながら生活しているのです。
だからこそ、はっきりとは見えないという感覚がどうしてもしてしまうのです。その一方で、非二元的に見るなら、全部が明確になるのです。
なぜなら、隠されている部分などはないからです。全てが晒されていて、非常に明確に見えるのですから。
見えているというよりも、ただ「これ」があるだけ。ただあることがあるようにあるだけなのですね。