誰もが最も求めているものは何かと言えば、それは究極の自由さと理由のない継続的な深い安心感なのではないかと思うのです。
そしてきっとその二つは、手を携えてやってくる気がします。ところが、それを求めているということは、それがまだ手に入っていないと感じているからです。
なぜなら、その二つを阻んでいるものがいるからです。それは他でもない「私」という自我なのですね。
だからこそ、覚醒して自我から解放されることを目指して瞑想をしていたわけです。ところが、非二元の気づきがやってきて、覚醒できる誰もいないことが判明したのです。
不自由であったり不安に苛まれる自己などいないと分かったのに、自我が衰えた感じはほとんどしないのです。
これは一体どうしたことなんだろう?というのが最近の問題ですね。そして、現実というものの本質を見抜いたとしても、それで何かが変わることもないんだなと。
気づきは特定の誰かに起きたわけではないのです。なぜなら、特定の個人はいないのですから。そして、非二元ではどんな因果もありません。
時間がないのですから当然と言えば当然。だから、何も変わらなくてもこれもまた当然なのかもしれないですね。
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