実在性とはイメージ

非二元に近づくためのヒントとして、「概念を脇に置いてみる」というような表現をすることがあります。概念が邪魔をするよという意味で。

概念を概念と見抜いて、それを使わないようにしてみるということですね。概念とはイメージだからです。

あらゆるイメージを脇に置いて、リアルなこととの見分けができればなんとなく非二元がわかりやすいのかなと思うからです。

たとえば、ここにリンゴがあるというときのリンゴという言葉は概念です。では、ここに何かがあるという場合はどうでしょうか?

何かがある、何らかのモノがあるというのも実は概念です。やっぱりそれはイメージなんですね。

そして、そのイメージ自体がリアルであって、イメージの中身で言っていることはリアルではないということです。

ここにリンゴがあると感じていることだけがリアルであって、ここにリンゴがあるというのはイメージです。

非二元では、リンゴに限らずあらゆるモノの実在性については一切触れません。なぜなら、それはイメージだからですね。

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優先度を見直してみる

1日というのは誰にとっても24時間と決まっています。忙しい人であれ、暇な人であれこれは同じなわけです。

暇な人にとっては、時間が余っているので自分の好きなタイミングで好きなことができるのは当然ですね。

一方で、忙しい人にとっては、その24時間をどのように時間配分するのかを考えなければなりません。

その時に使うのが優先度という考え方ですね。自分にとって、するべき事柄に優先度をつけて、優先度の高いものからやっていくのです。

当然優先度の低いものは、24時間の中ではできなくなってしまうこともあるわけですが、それを承知でやりくりするのです。

つまり、手が回らなくても仕方ないと思えるものが結果として、優先度の低いものになるのです。

もしも仮に、お母さんが仕事を優先して子供と話をする時間を疎かにするのであれば、子供との会話よりも仕事の方が大事だと考えているわけです。

子供の心の中には、そのことが不満として積まれていくことになるかもしれませんが、それが優先度を選択した結果なのです。

あるいは、どんなに忙しくてもなんとかして毎日スポーツクラブで運動するなら、それに応じた結果が出るわけです。

その逆に、ちょっと忙しい時には運動をお休みするようであれば、その効果はあまり出ないことになるのです。

もしも、心の癒しが思うように進まないと思うのであれば、解決策は一つです。癒しの優先度をもっと高く設定すればいいのです。

そのために、これまでやれていたことができなくなってしまうこともあるかもしれません。つまりそこが犠牲になるのです。

そうした犠牲が発生したとしても、癒しの優先度を上げることができるかどうかを考える必要があるということですね。

今更ですが健康第一というお話

毎朝行っているスポーツクラブで、知り合いになった人たちのほとんどが自分よりも年上の人なのですね。

その中で、最年長と思われていたお爺さんが、今年になって姿を見せなくなりました。その人は、確か98歳だったかな。

そしてその次に歳上なのが、昨年90歳になった人がいたのですが、その人はほとんど皆勤賞のように、毎日休まずに来る人だったのです。

それが、この2週間くらい見かけないけどどうしたのかなと思っていたところ、どうも亡くなったらしいと聞いたのです。

どこも悪いところがなく、健康そのものという感じで、穏やかな人柄も気に入っていたのですが、あまりにも急だなと。

人間、一寸先は闇ですね。私自身もこのところ咳が続いていて、深呼吸ができないしセッション中に時々咳き込んでご迷惑をかけてしまっています。

どうやら、2週間ほど前に冷たい風の強い日に肺を痛めたようで、この咳のせいでベンチプレスもしづらくて。

幼い頃、すぐに気管支炎になるような子供だったので、元々気道が弱いのかもしれないですね。

喘息になる前に、病院に行ってこようかなと思っているところです。皆さんも、健康には気をつけてくださいね。

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とんでもない充電ケーブル

どういうわけか、爪の伸び方が早くない?と思っていて、爪を切ってヤスリで削るのが面倒過ぎるなあと。

どうにかならないかなと思っていたら、電動爪切りなるものが世の中にはあるのですね。しかも、それほど高価ではない。

ネットで調べて即購入しました。とりあえず、数千円のお安いものです。それでも、あっという間に爪を削ってくれて、ヤスリがけもできるのです。

乾電池で動作するものもあったのですが、充電式があったので私はそれを選びました。スマホなどを充電するときに使うものと同じ。

そのときにたまたま見た動画で知ったのですが、充電ケーブルの末端に、特殊な電子機器が仕込まれていているものがあると。

それと知らずに使ってしまうと、接続したパソコンやスマホを外部からコントロールされてしまうことになると。

怖いですね。きっと某中国が作りそうなものだなと。私は電動爪切りなので問題はないですが、それでも使うのを辞めました。

調べたら、やはりその電動爪切り自体も中国製だったので。安物買いの銭失いとはこのことですね。皆さんも気をつけてくださいね。

自分の中の変わらないコアな部分

生物というのは、時間と共に成長していくものですね。植物であれ動物であれ。私たち人間もその点に関しては同じです。

自分の過去の記憶を振り返ってみたときに、確かにあの頃は幼かったなあとか、自分はいつから大人になったのだろうと思うことがあります。

ところが、そんな成長とは違って、まったく変化していない部分があるなと感じることもできるのです。

つまり、成長する部分と変わらぬ部分があると思って間違いありません。そしてその変わらぬ部分とはなんでしょう?

子供の頃、アルバムの中の一枚の写真を見て思い出したのですが、それは1歳かせいぜい2歳くらいの自分が、父親に持ち上げられてぶどう狩りをしているのです。

ああこの時のこと、凄くよく覚えていると。それ以来、そのシーンのことを忘れたことはありません。

そして、そのぶどうに手を伸ばしている時の感覚、あるいはその瞬間を生きている自分の感じが、今と違いがないということ。

つまり、そのコアとなる部分は成長も変化もすることなく、ずっと同じままを保っていると分かるのです。

それは自我のように生後作られた部分ではないのだろうなと。だから変わりようがないのだろうと思うのですね。

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ザイム真理教というカルト集団

最近ネットなどで見つけたのですが、「財務省解体のデモ」というのが東京や大阪などの何ヶ所かで起きているらしいですね。

以前から財務省が私たちの生活を困窮させる悪の権化だと思っていたので、ようやくそれを訴える人々の声が表舞台に出てきたということかなと。

経済のことってすごく難しいのと、さまざまな人々が真反対の論理を展開してくるので、私自身何を信じたらいいのか分からなかったのです。

けれども、さすがにネットの情報をあれこれ参考にしている間に、なるほど政治家をどれほど変えたところで日本が良くならないのは、ずっと変化せずにある「官」のせいだと気づいたのです。

その頂点に君臨するのが、財務省というわけです。彼らは、増税すれば出世コースに乗れるので、そのためのあらゆる手段をこうじるのです。

そしてプライマリーバランスを正常にするということを第一義に掲げているのです。国が負っている赤字をチャラにするのだと。

けれども、本当は「国の借金」というのは、「政府の負債」なのですね。それは国民の借金ではないということ。

この辺りの説明は私がここで説明するよりは、興味がある人は専門家から正しい情報をゲットする方がいいですね。

ある人が、「ザイム真理教」という本を出していて、まだ読んでいないのですが、財務省というカルト集団だと断罪しているらしいです。言い得て妙ですね。

今後、世界中で不正が暴かれていくことになるのかなと思うと、一筋の光明がさしてくる気がします。

非二元が徐々に定着してきた

この世界には実体がないということを視覚イメージで見てしまってから、もう半年くらいが経ちました。

当初は、気づいたとはいえあまりにも突拍子もないことだったので、今までの自分がそれを受け入れていたかどうかは怪しいのです。

実体がないということに気づいてしまったけれど、だからと言ってあらゆるものがないというのはどうやっても受け入れ難い。

これが本当の反応だったのだろうなと。ところが、動画やブログで非二元にまつわることを話したり書いたりしているうちに、少しずつそれが定着しつつあるかなと。

リアルと非リアルとがより明確になってきたのと、そのことを忘れずにいられることが増えてきたように感じます。

たとえば、クルマを運転していたり街を歩いているときに、空間とか距離といったものがイメージでしかないとか。

何も分からないし、何も知らないということに気づいていたり、そしてそれが当然だなというのも忘れずにいられるようになってきました。

時間と共に自分の中で熟成されて定着していくなどということ自体、それが真っ当なことなのかどうかも分からないのですが。

もう、非二元を辞めた!とか、そういうことは生きている限りあり得ないのだろうなと。それはそれでいいのかなと。

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人格って何だろう?

自分の夫を社会的に抹殺していく、という恐ろしいドラマを観たのですが、誰が奥さんを誘導しているかというと、驚くことに夫自身だったのです。

夫の人格が二つに分裂していて、自分で自分の人生を破壊しようとするのです。激しい罪悪感によって。

解離性同一性障害という病ですが、いわゆる多重人格ですね。その夫は父親から激しい暴力を受けた結果、自分の心を守るために別の人格を作ったのです。

このようなケースはごく稀にしかないだろうと思われているかもしれませんが、実は意外と多いのかもしれません。

かなり以前にずっとセッションに来てくれていた中学生の男の子は、何人もの人格を持っていると話してくれました。

それらの人格が、主人格となって表へ出てくるかどうかは別として、みんなで話し合ったりすると言ってたのを覚えています。

あるいは、初めて予約してきたクライアントさんが、当日現れないので電話をしたところ、身に覚えがないらしいのです。

けれども、いただいたメールアドレスはその人のものだったし、忘れるようなことではないはずなのに。

また別のクライアントさんの場合、知らない間に包丁が増えていて怖いというようなことを言っていたこともありました。

本人の自覚がない場合を含めたら、かなりの割合でそうした症状をもっている人がいるのかも知れないですね。

自分という人格とは、一体なんなのだろうと考えさせられるのです。

非二元に気づくために、思考を止める必要はない

最近は瞑想をすることがなくなってしまったのですが、それでも瞑想している時のあの気持ちの良さを忘れてはいません。

私はあの気持ちよさを、「自前ドラッグ」と呼んでいます。ただ何もせずに、心静かにいるだけなのにどうして気持ちがいいのか?

それはきっと、自我から解放されるからなんだろうなと。自我の喜びというのは、どちらかというと快感のようなものだろうと。

快を求めて不快から遠ざかろうとするのが自我の生き方です。けれども、そのどちらでもない状態に置かれるのが瞑想です。

快不快という日常的な自我の世界から離れて、理由も何もないただここに在るという感覚になると、それだけで心地いいんだろうなと。

もちろん自我はそれをずっと続けられると困ってしまうので、長い間それを保つことはできません。

それはそれでいいのですが、こうしたカラクリに気づくだけで、もうすでに非二元に近づいていると思っていいと思います。

自我がいなくならなければ、非二元に気づけないのではなく、自我がいても自分に正直になってイメージをそれと認識すればいいだけ。

それだけで、非二元には気づけるはずなのです。瞑想をする必要もないし、思考を止める必要もないということですね。

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