自己表現を抑えると不幸になる

この仕事を始めてからずっと共通して感じていること。それは、自己表現がしっかりできずに育ってきてしまった人が大勢いるということ。

そしてなぜ、そうしたことが頻繁に多くの家庭で育てられている子供の身に起きてしまうのかを見つめてみたのです。

すると、自己表現が抑えられてしまういくつかの要因があることがわかりました。それがずっと言い続けている、自己表現を抑える三つの要素です。

一つ目は、恐怖です。怖いと感じる相手には自由な自己表現を抑えてしまうのです。子供限定ではなく、人間の生まれ持った防衛本能です。

二つ目は、大変そうな人、辛そうな人、余裕がない人に対しては、罪悪感が生まれそうになるので、やはり抑えが効いてしまうのです。

そして三つ目は、自己否定感あるいは自己嫌悪感。自分がダメなんだとか自分が悪いと感じてしまうと、どうしても人は自己表現にブレーキがかかってしまうのです。

この三つの要素の一つでもあれば、子供は自己表現ができない毎日を送ることになってしまうはずです。

そしてもしも、同時に二つ、あるいは三つの要素に該当するような場合には、もう決して自己表現ができない人間になってしまいます。

たとえば、お父さんがとても怖かったし、お母さんが大変そうでいつもバタバタしていたり、つらそうに愚痴を言うなど。

このダブルパンチ状態は、普通に思っている以上に過酷な家庭です。そして、そこにあなたが悪いというメッセージをもらうようでしたら、まさにトリプルパンチとなってしまいます。

自己表現が苦手なのは生まれ持った特性だと考えている人がいたら、それは違うということをお伝えしたいのです。

そんなDNAなどないからです。思い当たるかもという人には、ぜひ心の癒しを実践していかれることをお勧めします。

なぜなら、自己表現ができなければ不自由な人生になってしまうし、その自己防衛が多大な自己犠牲を生むため、人生が破壊されかねないからですね。

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母親が旅立ちました

午前中に、老人ホームから連絡が入って、母親の呼吸がおかしいというので急遽駆けつけたのですが、まだ力が残っているようでとりあえず自宅待機に。

そのせいで、予約をキャンセルしなければならず、大変申し訳ない。ところが、遠方よりいらしたご夫婦ということが分かり、キャンセルをキャンセルしてやることに。

ご主人のセッションが終わり、少しあけて奥様のセッションをもう少しで終えるという時に、再度ホームから連絡が。

これはもう駆けつけなければならいと直感して、急いでセッションを終えて車で四十分ほどのホームヘ。

ところが、その時にはすでに母親は息を引き取った後でした。静かに、天国へと旅立ったようです。

食事がのどを通らなくなってから、5日ほどで人生を終えることになったので、まあまあ引き際が綺麗でしたね。

良心的な価格で入居することができた老人ホームで、母親は二度と自宅に戻ってくることはできませんでしたが、とても親切なスタッフさん達に介護されたなあと。

葬儀屋さんの車で運び出される前に、スタッフの皆さんが母親に丁寧な挨拶をしてくださったのも感動的でした。

所長さんによると、母親はスタッフの人たちから人気があったということで、それも嬉しい情報でした。

母親の気質は、誰とでも気さくに話ができるので、今世では親子でしたが来世では飲み友達なんてのもありかも。

96年と2ヶ月、お疲れさま!

無邪気な心は天候を気にしない

ここ数年はほとんど散歩らしいことをしなくなっていたのですが、数日前に久々に近くの大きめの公園に行ってきました。

ちょうど曇り空だったので直射日光に当たるでもなく、さりとて寒いということもなくて、程よい散歩日和でした。

考えてみると、ちょっと寒いと嫌だし、少し暑いとこれまた汗をかくので嫌だし、ということで散歩に適した日が滅多にないなと。

子供の頃などは、よほどの風雨の強い日以外は、天候のことなどほとんど気にすることもなく、毎日外で遊んでいたように思うのです。

この違いはどこから来るんだろうかと。確かに年齢のことを考えれば、こうした違いが多少あっても当然かもしれないのですが、それだけかなと。

きっと今、自分が何かに夢中になっているようなことがないので、身の回りのちょっとしたことにも必要以上に気づいてしまうのかなと。

夏の暑い日に、顔を真っ黒にして汗だくで外で遊んでいた頃の感覚を思い出そうとしても、出てこないですね。

優劣をつける必要はありませんが、一点集中でいられるあの無邪気な状態をもう一度味わいたいなと思ったりします。

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主治医との意思疎通は大切

今日、母親が入居している老人ホームに行って、主治医の往診に立ち会うのと同時に、今後の治療の方針について主治医の方とお話をしてきました。

私が伝えたことは、食事ができなくなっている状態が、何か特定の病気が原因であるなら、それを治療してもらいたい。

けれども、全体としての老衰によるものであるとするなら、身体が食べ物を受け付けなくしているということを意味しているのだろうなと。

だとすると、外側から無理に栄養などを身体に与えることは、かえって身体に負担になるだろうし、本人の負担も増えるのではないかと。

だから延命などの目的で、点滴などをするのは控えて欲しいと。その上で、本人の痛みや苦しみがあるならできるだけの緩和措置をして欲しいと。

こうした意図が、スムーズにその主治医の方に伝わったと感じることができたので、とてもありがたかったです。

その上で、まさかのときには24時間いつでも駆けつけて下さる旨を確認できたのです。これも併せて、ありがたいことですね。

そんな話し合いをよそに、ベッドで横になっている母親は意外にも声がデカくて、力強い感じがしてまだまだ余力がありそうだなと。

あの美味しさは二度と味わえない

誰にでも経験があると思うのですが、今までに食べた忘れられないモノ。単に味が美味しいというだけでなく、とにかく印象深い食べ物。

私にもいくつかあるのですが、一つは小学3年生の時に隣の次郎ちゃんの家に遊びに行った時に、おばさんが出してくれたアレ。

ホットケーキを小さくしたようなもので、もっと平べったいのですがそれがとにかく美味しかったのです。

家に帰って母親に同じようなものを作って欲しいとお願いしたのですが、結局その願いは叶えてはもらえませんでした。

また、やはり小学生の頃のことですが、母親が冷蔵庫でアイスクリームを作ってくれたのですが、それがなんとも美味しい。

はっきりとは覚えていないのですが、容器に取っ手のようなものがついていて、それをグルグル回して、粘り気のあるソフトクリームのようなものにするのです。

それにバニラエッセンスで香り付けしたのでしょうね。もう夢のような食べ物だったのですが、それもいっときのブームで終わってしまいましたね。

そして最後は会社員の時に飲んだ赤ワインの味。これが忘れられないのです。工場長から1万円をいただいて、NHKの若手職員と一緒に行ったレストラン。

ごく普通のファミリー向けのレストランだったのですが、そのお店で一番高いコースを注文した時にグラスワインとして出てきたあの赤ワイン。

それがなんという名前のワインだったかは分からないのですが、その後似たようなワインを探してあれこれ飲んだのですが、未だに見つかってない。

あの次郎ちゃんの家で食べたおやつも、家で食べた手作りのアイスクリームも、そしてささやかな打ち上げで飲んだワインも、今味わって見たら大したことはないのかも。

かけがえのないあの瞬間の自分だったからこそ、忘れられない美味しい体験ができたのかもしれないと思うのですね。

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食事をしなくなるのは身体のサイン?

老人ホームに入居している母親の具合が大分悪い状態になってきているようです。今日の朝、昼と食事をしなかったらしいので。

若い時には、一食でも抜くと震えが来るなんて言っていたくらいなので、とにかく食べることが大好き。

「ご飯美味しく食べられてる?」といつ聞いても、「美味しいよ〜」と感情を込めて答えてくれるので、食べている限りは大丈夫だろうと。

その食事が摂れなくなっていると聞いて…。微熱が原因であれば熱が下がればまた美味しく食事ができるなと思っているのですが。

父親が亡くなる時には、1ヶ月くらいほとんど食事をしなくなっていたのです。少しビールを飲むとかはあったのですが。

心配になって、検査入院させたところ、一週間くらいで亡くなったのですね。それを思い出しました。

野性の動物って、死ぬ時には自ら食べることをやめるそうですね。人間も動物ではあるので、その辺は同じなのだろうなと。

身体が食べ物を必要としなくなっているということかもしれません。こういう時には、無理に点滴などで栄養を与えるのは考えものです。

できれば、入院などせずにこのまま老人ホームで、看取ってあげられたら一番いいなと思うのですね。

生きてると胸を張って言えない毎日

最近すごく現実感のない毎日を送っているなあと感じていて、元々そういうところはあったのですが、それが特にひどくなってきたようで。

いくつか理由はあると思うのですが、一つは目標とか目的といったものを失ってしまったというのが大きいのかなと。

達成できるかどうかは別として、覚醒することが唯一の目標だったのですが、それが根本から消え失せてしまったのですね。

そうなると、私という自我はどうしていいのか分からなくなって、手持ち無沙汰という状態になっているわけです。

それに加えて、セッションの機会が極端に減ってきてしまったこともあって、ただただその日が過ぎ去っていくだけという感じなのです。

さらに言えば、非二元の方に意識を向ければ誰もいないし、この世界もないということになるので、余計に無為な感じが広がっているのだろうなと。

こうしたことの積み重ねによって、最近の何もしない、何もない毎日を淡々と生きている、あるいは生きてもいない感じになってきたのかなと。

まさかこんなことになるなんて、想像もしていなかったですね。ここに幸も不幸も何もなくて、内側は静かなんですけどね。

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質問を理解するのって難しい

小学校の国語のテストで、文章の読解力を問う問題というのがありましたね。誰もが経験していると思いますが。

この部分は、文章中のどの部分を指すのか?とか、この文章のここからここまでの内容を一番適切に表現しているのはどれか?等々。

そういうのは自覚としては、比較的得意だったように記憶しているのですが、一方で「詩」の内容を理解するのが苦手なようで。

例えば、一編の詩を読んで、作者は何を意図してこの詩を詠んだのか?みたいな問題が出ると、困ってしまうのです。

日本人の歌手の方が歌っている曲の内容を理解するのも難しくて、最近ではたまに歌詞の意味を解説してくれてるサイトなどがあって、それを参考にしたりしています。

そのときに、この歌詞からこんな解説ができる人の脳って一体どうなってるのだろうと、その能力の高さに脱帽してしまうのです。

人には向き不向きがあるから仕方ないことだろうなと、勝手に自分を納得させておしまいにしていたのですが。

最近のことですが、非二元関連の動画へのコメント(質問)をいただくようになって、それに対してなるべく間違いのないように答えを届けようと。

それがすごく難しいのです。ちょうど「詩」の理解が苦手なのと同じ感覚になるのです。この年齢になっても、勉強させてもらえるのがありがたいですね。

過去に遡って風景を見れる時代

最近では、どこか初めてのところへ出かけるときには、大抵 Google Map で地図情報を収集してから出発するようになっています。

特に、目的地付近のことを詳細に調べるために、Street View 機能を使いますね。それによって、景色や建物などを見ておくことができるからです。

実際に出かけない場合であっても、地図上だけで様々な情報を調べることができて、本当に便利になったものだなと。

特に、Street View 機能の中で、年代を遡って画像を見ることができるのが、とても面白いなと思うのです。

今の所、何十年も前にまで遡ることはできないですが、ちなみに私の自宅の周辺は16年前まで戻ることができます。

それで思ったのですが、これからの人、例えば今年産まれたような新人類の人たちであれば、自分が産まれた頃にまで遡って画像を見ることができるようになるかもしれません。

自分が産まれた頃は、自宅やその周辺はこんな感じだったのかとか、今はもうなくなってしまった母校やその他の建物などを見ることができるのです。

私の場合、この年齢になった今でも小学生の頃に住んでいた自宅の辺りの風景を思い出すことがよくあるのです。理由は分からないのですが…。

その風景をスマホで実写レベルで確認できたら本当に夢のようだなあと思うのです。時代は変わりましたね。

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いつかはどこかに流れ着く

会社員だった頃のことですが、ある朝出勤しようと外を歩いていたら、どこからか沈丁花の芳しい香りが漂ってきたのです。

きっと今ごろの季節だったのでしょうね。朝の時間、少し肌寒さを感じていたように記憶しています。

その瞬間、アレっという感じがしたのです。それは、きっと言葉にすると「この感覚で元々は生きていたはずだ!」というものです。

そのころは仕事地獄にハマってしまっていて、本来の自分の感覚を殺して日々生きていたのでしょうね。

それが、沈丁花の香りのおかげで一瞬にして本来の自分の感覚を思い出させて貰ったということなのだと思うのです。

そのくらい、ちょっと衝撃でしたね。その瞬間、いったい自分は毎日何をやっているのだろうと思ったのです。

ところが、それも束の間、またすぐに仕事のプレッシャーに追われる日常のあの感覚に乗っ取られてしまいました。

人間て、乗っ取られている時にはそれと気付かずにいられるのですね。それは、都合がいいと言えばいいのですが。

逆に言えば、気付けなくなった状態で人生が続いていってしまうわけで、それは非常に危険なものだろうなと。

私の場合は、大腸癌を患ったことがきっかけとなって本来の感覚を取り戻すことができて、今に至ります。

それはとても幸運だったなあと。気付けない状態の人に他人が何を言ったところで難しいのですね。もどかしい限りですが。

それでも、物語は流れていくもので、いずれはどこかに流れ着くものですね。