生を受容するとどうなる?

本当にリアルなものだけがただあるということに気づくようにしていると、これまでどれだけリアルではないものが本物であるかのように信じていたか、知ることになります。

それはもう恐ろしいほどの間違いをしているのです。今ここにあるもの以外は決してないのに、それ以外の何かをいつも探しています。

もっとこうなったらいいのになあとか、前回は失敗したから今回はうまくやろうとか、明日はもっと頑張るぞ!とか。

そんなのは全部たわごとなんですね。だって、今あることがただあるだけなので、これ以外は決してやってこないのです。

そうかあ、境界は見つからない、ということは全部が繋がって見えてくるのかな?なんてことも決してありません。

ただ境界などないということを見抜くだけです。見え方が変わることはないのですが、境界がないので「モノ」というものが無くなってしまいます。

だから、見えているものは全て理解不能なんですね。身近にある自分の身体だと思い込んでいたものも、その正体は不明です。

どれほど頑張ったところで、なにも頑張らずにゆったりしていても、起こることがただ起こるだけなんです。

少しだけでも生を受容しようと思うだけで、ちょっと非二元の方によることができるような気がしますね。

“生を受容するとどうなる?” への2件の返信

  1. 大澤先生の非二元論のお話し、納得❢と言えるのはほとんど無いくらい、理解力の無い私ですが、そ~なんだ~となんとな〜く、ぽわんぽわんと周りを漂って、日常の苦しみを薄めてくれます。
    何の境界も無い、生死の隔たりも。犬人生を終えた愛犬が、近くにいると感じること。私も犬もいなくて、その体験だけがリアルとして。
    リアル、体験を起こすのは、何らかのエネルギーは存在するのかな…うねうねとどこかしこで、みんなの体験を起こすとか。でも、それには空間がある前提ですものね。やっぱり頭がついてきませんでした。
    でも、とにかく、とっても、ありがたいです!ありがとうございます(*^^*)

    1. 何であれ、少しでもお役に立てたなら、よかったです!!
      動画の中で、このコメントを紹介させていただきますね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です